小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その7

初代所長格の永井尚志の後を継いで安政三年に第二期生の総監として赴任した木村喜毅は、更に翌年五月には二十七歳で長崎海軍伝習所の取締に昇格している。目付も兼ねているが早い出世である。その際、創業当時から伝習所に携わっている勝麟太郎が、何かと相談相手になっていた。

勝は思った事をありのまま吐き出す直言家で皮肉屋でもあった。舌が人一倍まわったから、上役から好かれない人柄である。しかし、木村が着任した際、勝は彼の誠実で生真面目な性格を見抜き、六歳年下の上司にも拘わらずとても好意的だった。着任当初、木村は素直に

「私は海軍の事は全くわからないので、何からしてよいか教えて下さい」

と率直に聞いた。そこで、聞かれた勝は、

「今の伝習所は風紀が乱れており、生徒たちが不品行であり無断で外出し飲食をするのは、いまの宿舎が狭いせいだ。この生徒たちの生活環境を改善することですね」

と答えた。

当時、伝習生に与えられた部屋は六畳一室の中に五人の生徒が寝起きしており、特に暑い日は堪らない。だから若い者などは自然、遊郭や料亭などへ外出する。あなたの初仕事は先ずこれをお考えくださいと伝えた。先日、岩瀬に話した生徒のための「屋敷借り上げ」はこの対処だった。

 

木村は伝習所に戻ると所長室の机の前に座り、文箱の中に溜まった書状を読んでいた。そこに勝が入ってきた。

「木村さん、戻られましたか。どうでしたか、江戸は」

「やあ、勝さんただいま。もう江戸はごたごた続きですね。先日、下田領事官のハリスが将軍家定公に謁見されて以来、益々強い態度で開国を迫っているらしいですよ。城内では、その対応についてどうしたものかと、議論で紛糾している様ですね。水戸藩の斉昭様は相変わらず、断固許さないと息巻いているようです。幕府も今まではその返答をのらりくらりと伸してきましたが、ここにきて、いよいよ決断しなければならず切羽詰まったという感じですね」

すると、早速、勝の悪口雑言(あっこうぞうごん)が始まった。

「無能な老中たちが、いくら話あった処で埒が明かないってもんでしょう。いずれハリスに言い負かされるのは目に見えてんですから、早いとこ、開国したほうが、日本のためだって事も分からないんでしょう。いつまでも鎖国を続けたところで、ただ日本って国が世界から取り残されるだけでしょう。いまの幕府じゃあ、所詮、強い日本国を造るってえのは、無理なんじゃないでしょうかね」

勝は目の前の木村が、幕府目付だということを、まるで忘れているかの様に言い放った。

木村も、すでに勝の少しくらいの暴言には慣れている様子だ。

「それから、将軍家定公の具合がかなり悪くなったと聞きました。家定様には後継がいらっしゃらないので、その後継選びでも、相当もめている様ですね。紀州は慶福(よしとみ)様を擁立されたとのことですよ」

「後継ならば、一橋慶喜様にほぼ決まっていると聞きましたが、紀州徳川家も黙っちゃいないって事ですね。徳川御三家も後継者選びとなると、皆必死ですね」

勝麟太郎にとっては、この重大な次期将軍継嗣が他人事のようであった。

 

木村はしばらくして話題を転じた。

「ところで勝さん、新しい練習艦の咸臨丸はどんな具合ですか」

「そうですね、今までの観光丸に比べると咸臨丸の方がちょいとばかり早く、安定感てえのがありますかね。だが、軍艦としてまだまだ駄目だあ。出力はやや弱いし、小回りが利かねえ。しかし、先日初めて伝習生を乗せて試験的に五島まで操行してみたんですが、練習船としては悪かあないと思います」

「そうですか。来年五月には発注したもう一隻、最新型の朝陽丸が就役する予定ですから楽しみですね」

この咸臨丸と朝陽丸は幕府が海軍創設のため、初めてオランダに発注した二隻である。ちなみに最初の観光丸は長崎海軍伝習所練習艦として、オランダより幕府に贈呈された軍艦であった。軍艦一隻を贈呈するというは随分気前のいい話なのだが、この伝習所の支援者でもあるオランダ商館長クルティウスが、日本が開国してくれたお礼にオランダ政府へ寄贈の提案をしたからである。

また、アメリカなど他国からの貿易追随の牽制でもあった。