小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その15
井伊直弼は江戸城本丸で大奥の本寿院(徳川家定の生母)に挨拶した後、将軍家定に謁見していた。井伊はこれまでも度々幕政について評議や情報を提供し、家定から全幅の信頼を受けていたのであった。
「恐れながら、殿、本日は彦根国元より取り寄せました珍味なるえび豆という郷土食を献上したく、持参致しました」
「ほほう えび豆というのか。それは、どの様なものなのじゃ」
井伊は重箱の蓋を開き
「はっ、これなるは琵琶湖より獲れた小ぶりのエビと大豆を甘辛く煮たものでございます」
「うむ、確かにエビと豆が入っており、旨そうだな」
「我が彦根藩ではこのえび豆を祝儀贈答に用いております。エビのように腰が曲がるまでまめに暮らせます様にと」
「あははっ なかなか面白い洒落じゃ。後で食すとしよう。井伊殿、礼を申すぞ」
「はっ、恐れ入ります」
「ところで殿、いま水戸藩の一橋家が将軍継承について不穏な動きをされている事、お耳にされて居りましょうか」
「そう言えば、大奥の者たちが、妙に一橋の悪口を言っておるのを聞いた覚えがあるが、何か企んでおるのか」
「はい、実は殿にお世継ぎがござらん事を理由に、先走って次期将軍を一橋から擁立しようとする者がおるとの事にございます」
「なに、一橋が、それは誰じゃ」
「慶喜か。慶喜であれば亡き父家慶公も認めておった一橋徳川家当主ではないのか。それに余は身体が弱い故、もう余に子を成すことは無理じゃ。それに、いささか政(まつりごと)は余にも重荷となってきておる。早期において次期将軍を定めることは余も承知しておる事だ」
「はい、しかし、徳川家のお世継ぎは代々長男の嫡子が優先と決まっております。あくまでも徳川家の血筋を考えれば十二代将軍家慶公の弟君亡き紀州藩主徳川斉順(なりゆき)様の御嫡男であらせられる徳川慶福(よしとみ)(後の家茂(いえもち))様が次期将軍となられるのが順当かと思います」
更に井伊は言葉を継ぎ足した。
「仮に将軍家に後嗣が絶えた時は、尾張家か紀州家から養子を出すことが定めとなっております。水戸家の官位はその下。優先順位は後方と思われますが」
「ならば、井伊殿は、慶福殿が次期将軍に相応しいと言われるか。しかし、慶福殿は確かまだ十三で元服前ではないのか。その様な若年に将軍が務まるのか」
「はっ 当然ながら家老方々が管領となり、その輔佐を致します」
矢継ぎ早に
「殿、何卒、然るべき御判断を賜りたくお願い申し上げます」
「うむ、わかった。充分思案致そう。ところで大奥の者たちは、余程斉昭を嫌っておるらしいな」
「はっ、あの方は度々過激な言動で幕政に口を出されるので、皆より疎(うと)まれております」
「そう言えば、歌橋も相当、斉昭を毛嫌いしておったな」
「はっ その様でございます」
井伊は頭を下げながらニヤリとほくそ笑んだ。歌橋とは、家定の乳母であり当時大奥の権力者である。その後、慶福(家茂)の将軍就任のためにも尽くしたのであった。
大奥での篤姫は苦悩に満ちていた。篤姫は島津斉彬より、次期将軍に一橋慶喜を推挙せよと厳命されている。しかし、大奥では完全に反一橋派となっている。そんな板挟みの中で篤姫は家定に慶喜推挙などとはとても言える状況ではなかった。篤姫は元々薩摩の生まれである。島津斉彬からは事が無事に済めば薩摩に帰郷することも許されているのであった。しかし今の篤姫は身も心も徳川の家に染まっていた。
いや篤姫自身、自分は家定の正室、大奥を束ねる者、誰よりも徳川家の未来永劫を願い、存続させる事が自分の使命であるという責任感が日毎に強くなっていたのであった。
しかも、斉彬の真意が慶喜を将軍に据えた後で、兵を率いて幕府の体制を根本から覆し「新政府」を作ることが目的だと気づいてしまうと、慶喜か慶福かという選択よりも、とにかく徳川家を守りたいというのが篤姫の本心となった。この後、篤姫は長年付き添ってくれた幾島に向かって
「幾島、すまぬ。私は斉彬様に背くことになるが、慶福様を次期将軍に迎えることを家定様にご推挙申し上げる」
と大粒の涙をこぼしながら言い放った。