小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その18

日米修好通商条約

 安政五年四月二十五日、下田湾の北東。海岸から近い山裾に曹洞宗の寺、玉泉寺に老中首座堀田正睦下田奉行井上清直は憂鬱な表情でむかっていた。ハリスが滞在する下田領事館である。古い石段を昇り朽ち果てそうな山門を潜ると、左横には黒船でやってきた際、亡くなっただろう乗組員のいくつかの墓に花が供えられていた。お供の者を外で待たせ、本堂に入って行った。

客間に通されると、ハリスが笑顔で出迎えた。堀田と井上はハリスと対面すると

「ハリスさん、先日は岩瀬との談判、誠にご苦労でござった」

「いやあ、外交官が岩瀬さんで本当に助かりました。双方にとってとても満足な条約内容となり、私も一安心したところです。こちらこそ、ありがとうございました。」

ハリスは本当に嬉しそうだった。そこで堀田は重い口を開いた。

「実はハリスさん、先日の条約の取り交わしについて、幕府内ではもちろん締結の意向でござったが、我が国の天皇の許しを得る為、京都の朝廷に出向いたのですが、残念ながら、なかなか理解が得られず、ほとほと困っております。つきましては、誠に申しづらいことなのですが、締結の日程を少し先延ばしさせて頂く訳には出来ませぬか」

ここまで言うと、ハリスの顔は徐々に紅潮し

「先延ばしとは、いつまで待てと言われるのか」

と語気が次第に荒くなってきた。

「一年、いや半年ほど待って頂きたいのです」

「Oh! Don't be silly(ばかなことを言うな)堀田さん、ふざけたことを言わないでください。日本人はいつもこんなやり方をしているのですか」

ハリスは凄まじい顔色になり、怒りで眉を振るわせていた。このハリスの変貌に圧倒された堀田は小太りの身体を小さくかがめ情けない声で誠に申し訳ござらんと詫びた。その後も談判を続け、期日を九十日後(七月二十七日)迄という案でハリスもようやく納得した。二人は何度も何度も頭を下げ帰って行ったのだった。 

 一方、大老となった井伊直弼がまず行なったことは、孝明天皇へ書状で次期将軍が決まった旨を報告した事だった。その際、具体的な名前を記載せず、ただ決定のみをお伝えした。この時、なぜか孝明天皇も誰が将軍になったのか名前を問わなかった。ただ、朝廷からは次期将軍決定に際し、お祝いの書面が井伊の手元に届いた。実は井伊直弼はこの祝い状を待ち望んでいたのだった。これを朝廷からもらったことで将軍継嗣を慶福にお認めになったという証になるのだった。

 

安政五年六月二日、将軍家定は、いつもの大広間に井伊大老や老中たちを集めた席で次期将軍を紀州藩主・徳川慶福(後の家茂)に定めることを言い渡した。(正式就任は十月)併せて、井伊大老孝明天皇から頂戴した新将軍就任祝いの書状を皆に披露したのだった。但しこの祝い状が本物かどうかは確証がない。南紀派の工作ではという噂もある。しかし、これにより、長く続いた将軍継承問題は、南紀派の井伊直弼徳川慶喜を推す一橋派を退け、慶福(家茂)を擁立し幕府権力を掌握する事で、取り敢えず一段落となった。

次の課題がアメリカとの交易について如何に朝廷から勅許を得るかだった。井伊直弼はあくまでも朝廷の勅許を得ることが必要と考えていたのである。

  第十四代将軍 徳川家茂