小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その39

 咸臨丸帰国

 

 三月十五日、新見率いる使節団が改めてメア島に訪れ、木村総督に今後の話をしにやってきた。木村は造船所の傍らにある事務室に一行を案内すると、おもむろに新見は話を始めた。

「木村殿、船の修理はあと、どの位かかりそうですかな」

「かなり、大掛かりな修理をして貰いましたので、あと六、七日は必要かと思います」

今までもかなりの手間を掛けている様子を見ているので、少し余裕をみて答えた。

「そうですか、我々もかなりアメリカの様子がわかってきました。予想以上にアメリカ人が歓迎してくれたのには、いささか驚きました。この分だと、ワシントンまでの道程も安心して行けそうです。ついては木村殿、本来貴殿のお役目は、我々ポーハタン号の使節団に何か不祥事が起きた時の代わり役として随伴船でここまで来て頂いたことはご承知ですな」

「勿論でございます。無事、新見様ご一行がアメリカにご到着され、私も安堵しております」

「就いては、木村殿のお役目もここまでと云う事で、船の修理が終わり次第、帰国を許そうと考えているが、いかがであろう」

「はっ、新見様の仰せ付けとあらば、それに従う迄でございます」

「そうか、では、その様に致そう。我々は次の出航の準備ができ次第、ワシントンを目指し出立致すつもりじゃ。そち達とは、これで別れる事となる。くれぐれも帰りの航海も無事、乗り切れるよう祈っておるぞ」

「丁重なるお気遣い、誠に恐れ入ります。私共も、新見様ご一行が無事お役目を果たされるよう心よりお祈り申し上げます」

新見達はまた、サンフランシスコに戻った。彼らがワシントンに向け出発するのは翌々日の十七日となった。

 

 咸臨丸の修理もほぼ終わりに近づいた。木村は修理費用がどの位になるのか皆目、見当がつかなかった。

 手元には幕府から借り入れた五百両と木村が自費で用意した三千両の残り二千五百両程ある。五百両の大半は咸臨丸の乗組員へ手当給付金として皆に分け与えていた。また乗組員の治療費、カニンガム提督への見舞金、等々にも当ててきたのだ。そこで、木村は中浜を伴いブルック大尉に相談することにした。

 そこで木村は耳を疑うような事を聞かされた。

「木村さん、ご心配は無用です。今回の船舶修理はアメリカ大統領の命令で行なった事ですので、これに掛かる費用はすべてアメリカが負担します。ですから、一ドルたりとも日本から頂くわけには参りません」

「とんでもない、ここまで何かと便宜を図っていただき、修理の期間の宿舎まで用意して頂いたのに、費用をまったく受け取ってもらえないなど承服できません。何としてでも受け取ってもらわねば日本人として立つ瀬がありません。武士の意地というものです」

「木村さん、私は武士の意地とはよく理解できませんが、これはアメリカが日本に対して友好と感謝の意味も含めています。どうかアメリカ人の好意として気持ちをわかっていただけませんか」

「そこまでおっしゃるのなら仕方ありません。私はつくづく、アメリカ人の優しさと心の広さに感激しています。そんなアメリカと友好国になれる日本は本当に幸せだと思います。心よりお礼を申し上げます。」

 

木村は改めてブルック大尉の顔をみて言った。

「ブルック大尉、あなたが一緒に咸臨丸に乗って頂かなければ、我々日本人の力だけでアメリカに辿り着けたかどうか、甚だ疑問です。更にアメリカに着いてからも、ずっと自宅にも戻らず我々を最後まで見捨てず船の修理の段取りまでもして頂き、この感謝の気持ちはとても言葉では言い尽くせません」

 ブルック大尉は何も言わず木村の言葉を聞いていた。木村は日本から持ってきた千両箱を二箱、目の前に出した。ひとつは日本で両替したドル金貨が入っており、もう一箱には一両小判がぎっしり詰まっていた。

「失礼とは思いますが、あなたへの感謝の気持ちをこんな形でしかお返しできません。どうかお望みの金額をお受け取りください」

すると、ブルック大尉は笑って手を振った。

「木村さん、私も最初は自分に与えられた仕事として、あなたたちのお世話をさせて頂きました。しかし、今では逆にあなた方日本人の誠実さや実直さにとても感動しています。私も色々な事を学ばせて頂きました。この貴重な体験はお金に換えられるものではありません。どうかこのお金は日米親善のために役にたてて下さい」

と言って受け取らなかった。それでも木村が執拗に受け取りを迫るので、ブルック大尉は

「それでは、この一両小判を一枚頂きます。これを貴方と私の友情の徴(しるし)として記念のメダルにします。そして私の家の家宝にします」

と最高の笑顔で云うと、それをハンカチに包み大事そうにポケットにしまった。

 

 事件が起きたのは、その日の昼過ぎだった。木村と勝がドックでほぼ修理が終え、見違えるように綺麗になった咸臨丸を見ながら話をしていると、佐々倉が慌てた様子で駆込んできた。

「どうした、佐々倉、そんな顔して、また風呂釜でも壊れたか」

「勝さん、たいへんです。なにやら、うちの乗組員が女性に乱暴を働いたようで、裁判所に出頭するようにと責任者宛てに連絡が入ったようです。大事にならなければよいのですが」

佐々倉は手に持っていた書面を勝に渡し心配そうに言った。命令書には

〖尋問の節、明日十五日午前九時に出頭せよ サンフランシスコ裁判所〗と書かれていた。

「そりゃ、ホントかい。どうやらただ事ではなさそうですね、木村さん。仕方がありません。おいら責任者として明日裁判所に行ってきます。最悪の場合は覚悟決めなきゃならないですね」

 勝は、翌早朝、身支度を整え、正装で出かけた。折角、アメリカと日本が親密な関係になってきたのに、それをぶち壊すような事態になっては、今までの苦労が台無しとなる。どうやって収束を図るかそればかり考えながら、裁判所に向かった。

 指定された法廷に入ると、そこには法衣を着る三、四人の裁判官がいた。やがて裁判長は居丈高(いたけだか)になって、国籍・年齢・職業等の取調べを開始した。勝は心の中で、多分乗組員の中に重大犯人がでたに違いない、困った事になったと神妙な態度で質問に答えていた。

すると、裁判長は二、三冊の書物を一段と高く掲げ、

「その方、これを何とみるか」

と中を開いて勝の目前に突き付けた。一瞬、しまったと思った。それは、実に日本の春画であった。

しかし、勝はわざと落ち着き払って、

「それは、日本の春画ですが、それがどうかしましたか」

と開き直った。裁判長は一段と声を荒げ、

「その方を呼び出したのは、この儀である。実は昨日サンフランシスコ公園である二人の貴婦人が散策しておったが、日本人の水兵が乱暴にもこの本を貴婦人に強いて与えんとした。そして、その婦人は大いに怒って直に侮辱の訴えを当法廷に起こしたから、法律に依ってそれぞれ取り調べを急ぎ行なう事となったのだ」

 

その位のことで、艦長呼び出しとは何と馬鹿馬鹿しいと、勝は腹立たしい思いをした。

「法律とあれば、致し方ございません。証拠品を持ち帰り、早速取り調べの上、処分いたします」

と答え、その場を去ろうとした。

すると、裁判長は一転してまあまあと別室に勝を案内し菓子と飲み物を出し、丁重に待遇した。そして、

「これは、わたし個人としての話だが、この本は非常に珍しい物である。一旦、あなた方にお返ししますが、改めて私に譲っては貰えないだろうか。実は強与された夫人らも非常に欲しがっている」

 勝は何だかとても忌々(いまいま)しかった。そんなに欲しければ訴訟などせず、最初から素直に受け取ればいいだろう。わざわざ呼びつけて油を搾った挙げ句、今度は春画を下さいとは呆れて物が言えない。勝は、造船所に戻るとすぐに木村に報告し安心させた。また、すぐに犯人もわかったが少し叱っただけで済ませた。

 翌日、勝はわざと大勢の前で厳粛に贈呈式をやってみせた。貰った裁判長は閉口し、婦人たちは早々に逃げ出した。