林城探索
この林城は、信濃守護・小笠原氏の居城であったが、武田信玄に攻められ小笠原長時が逃げ去った山城である。その後、信玄はこの城を破却し深志城を本拠とした。したがって、長時が去った後は殆ど使われず 廃城となったまま四百年が過ぎた場所でもある。
林城は、ふたつの山城から出来ている。北峰に大城、南峰に小城、その間の大嵩崎という谷部に小笠原氏の居館を置いていた。また、大城の東側に橋倉という名の谷部があり、ここに兵を住まわせていたらしい。
福島は、まずは、大嵩崎と橋倉に挟まれた大城へ登ることにした。
登り口からは、いきなり急な上り坂である。しかも人がやっとひとり通れる道が九十九折りになっている。どこが道なのか分りにくく、うっかりすると道からはずれ迷子になりそうである。福島の案内がなければとても行き着ける大城ではない。
尾根伝いに登っていくと、いくつも曲輪を重ね、要所要所に堀切が設けてあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画したもので、尾根を伝ってくる敵から背後を守るためのものである。また、堀切とは地面を掘った水路のことで、この曲輪と堀切が段々畑のように大城まで続いている。所々に石垣が残っているが、いずれも自然石を積み上げたもので、いつ崩れてもおかしくない状態であった。
やっと、最上部の大城に着いた。太い木が何本も建ち並んでいるが、明らかに人の手による広い平地となっていた。
少し肥満気味の福島が、荒くなった息を整えながら言った。
「やっと、大城の主郭部に着きました。ご覧の様に、城と言っても今は何もない山の中という感じですね。いくつも石垣が残っていましたが、石の階段は、当時のものでなく、後から造ったものです」
「昔の人が、狭い山の尾根伝いに、これだけの石垣や堀を造ったりしたのは、さぞ大変だったんでしょうね」
と田岡がまわりを見渡しながら言うと、妙子が、
「でも、これだけのものを造ったのに、武田軍が迫ってきたら、恐れて戦わずして逃げてしまうなんて、ちょっと情けないというか、勿体ないと言うか、苦労が水のアワって感じがするわ」
「それだけ武田軍が強すぎて、小笠原軍から見ると、脅威だったってことですよね」
「おっ、田岡君もだんだん、歴史がわかってきたようだね」
「もう、先生、からかわないでくださいよ」
「でも、いまのところ、埋蔵場所の手掛かりになりそうなものは、何もなさそうね」
「では、このまま道を真っすぐ行くと橋倉谷に通じてますので、とりあえず、橋倉の住民に何か聞いてみましょう」
橋倉谷までの道は、一気に下り道となっていたが、やはりひとりがやっと通れる道幅だった。
山の麓まで降りると、民家が立ち並ぶ村に出た。福島は早速、畑作業をしている白髪のおじさんに話しかけた。
「すみません。博物館の者ですが、この辺に釜挟という場所をご存じないでしょうか?」
「なに、カマハザマ?そんな場所は聞いたことねえな。俺にゃわからん。わりいが他所で聞いてくれや」
他にも三~四人の人に尋ねたが皆同じ答えだった。福島はあきらめて、麓伝いにまた、元の金華橋の登り口に戻った。
「では、次に小城の方に行きましょうか」
と福島は言うと、今度は右手に見える南峰の小城を登る事にした。
「では、大城と小城の間にある、大嵩崎という村から、小城を目指しますが、また先ほどと同じように急な上り坂がありますので、気を付けて歩いて下さい」
皆は、早速、登り口から山の中へ入り込んだ。先ほどの大城は峰伝いに行くルートだったが、この小城へ 行く道は更にわかりづらかった。まして、最高所には、主郭と副郭に分かれている。大城と同じように曲輪と堀切が無数にあった。もし、福島が先導しなければ完全に迷う場所である。それでも、なんとか主郭に着いたが、これと言って何ら目印になりそうな物は何もなかった。
「やっぱり、ここも手掛かりがなさそうね」
妙子は、ちょっとがっかりした様な顔を見せた。
「ねえ、あの手紙の裏書き、もう一度文面を見てみましょう。場所は、この林城に間違いなさそうだけれど、水って何を指しているのかしら。薄川の水以外に何か水に関連した場所がきっとあるはずよ。いったい何かしら」
皆は、もう一度、田岡が写し取ったノートの文面をのぞいた。
『辰ニ林アリ林ニ水アリ ソノ釜狭ニ𣑊アリ 此レ越後様ノ預物ナリ』
「う~ん、わからないなあ。仕方がないから、一旦戻りましょう。大嵩崎は小笠原氏の居館があった場所だから、きっとこの近くに手掛かりがある様な気がする。ついでに大嵩崎の住民にも何か聞いてみましょう」
元の小城登り口まで戻ると、福島たちは谷部の奥まった場所へ向かい歩き出した。
「すみません。博物館の者ですが、この辺に釜挟という場所をご存じないでしょうか?」
数人の住民に聞き歩いたが、誰もが首を振った。
「もう、そろそろ戻りませんか。地図で見てもそんな地名は見つかりませんよ。また、出直しませんか?」
福島が諦めて帰ろうとしていた時、彼らの目の前で老婆の手をひいて自宅に入ろうとした女性がいた。
「あのう、すみませんが、この辺に釜挟という場所をご存じありませんか?」
その声に気が付き、ふたりは振り向いた。
「えっ、カマハザマですか?私は聞いたことがないわねえ。おばあちゃん、カマハザマって知ってる?」
祖母と散歩から帰ってきたらしく、嫁と思われる女性が聞いた。
「えっ、なんか言ったか?」
どうも耳が遠いらしい。女性はもう一度大きな声で、
「この人たちが、カマハザマって言う場所を知らないかだって!」
「ええっ、カマハザマかい? 知らねえな。かんばさまなら知っとるがなあ」
「おばあちゃん! かんばさまじゃなくて、カマハザマだって!」
女性が、済まなさそうな顔をして、
「ごめんなさい、おばあちゃんも知らなさそうです」
と、軽く頭を下げて、家に入ろうとした。
すると、福島は慌てて聞き直した。
「す、すみません。かんばさまって何ですか?」
「おばあちゃん! かんばさまって何のことかって聞いてるよ」
女性は、疲れて座りたがっている老婆の様子をみて、玄関前のベンチに腰掛けさせた。
「ああ、わりいね。ちょいっと疲れたわ。なに、かんばさまの事かい? かんばさまっていうのは、あの山のちょっと入った所にある井戸のことずらよ。あそこは、危ねえからあんまし近寄っちゃあなんねえぞ」
それを聞いた妙子は、
「ねえ、福島さん。そう言えば小城の登り口を過ぎたあたりに、竹の蓋で覆いかぶさった井戸らしいものあったわよね。その事じゃない? そうよ、きっと水って井戸のことじゃないかしら」
少し興奮気味の妙子はそう言うと、老婆に向かって、
「ねえ、おばあちゃん! その井戸って、どうしてかんばさまって言うの? 昔からある井戸なの?」
「なんで、かんばさまって言うかは知らんなあ。だが、子供んころからかんばさまって呼んでただ。おらの爺様から聞いたが、昔、土引きしてた馬が引きずり込まれたって話だ。だから地獄の釜ってゆうて、ここらの衆はだれも近寄らないんだ。あんたらも行かん方がええぞ」
「地獄の釜って‥ なんか怖そうな名前だわね。おばあちゃん、お話を聞かせてくれてありがとう」
皆は、ふたりに軽く頭を下げ、もう一度、小城の登り口から井戸のある場所へ向かった。
その井戸は、しばらく歩くとすぐ見つかった。しかし、うっかりすると見逃してしまう程の大きさで、林の中の陽の当たらない場所にひっそりと落ち葉に埋もれていた。落下防止の為か竹で組んだ蓋でしっかり塞いであった。
「こんなところに井戸を掘って地下水が出たのですか?」田岡が福島に聞くと、
「いや、この井戸は溜め井戸といって、近くの沢から水を引いて溜めていた場所だから、そんなに深くないと思う。ちょっと、中を覗いてみますね」
「大丈夫か? さっきのお婆さんが危ないから近づくなって言ってたよな」
清水先生が心配そうに言った。
「はい、気をつけます」と返事をして、そっとふたを横にずらした。
井戸の中は暗くてよく見えなかったが、2mほど下に木材や大きな石が投げ込まれた様子であった。
「たぶん、人が落ちると危険だから、村の人が埋めようとしたんでしょうね」
「でも、水というのが井戸のことだとすると、ここが埋蔵した場所と考えてもいいんじゃないかしら。きっとカマハザマがなまって『かんばさま』って言うようになったのよ。それが、この井戸を指しているとすれば全てが一致するでしょ。福島さん、どう私の推理?」
「うん、多分ここの場所かもしれないね。しかし、この林城跡は重要な歴史遺産だから、簡単に重機で掘ったりすることは出来ない。余程、確かな根拠がなければ、掘削許可は下りないと思うよ」
「ええ~、残念。でもこの場所を見つけ出しただけでも成果はあったわよね。この下に黄金が埋蔵されているかもって想像しただけでもワクワクするわ。いずれ、松本市としても発掘調査をするでしょうね。その時が楽しみだわ」
「そうかもしれないね。だけど、この事は、絶対に僕ら四人だけの秘密にして下さい。もし、この噂が広がって色々な人がここを掘り返すことにでもなったら、大事な歴史遺産が荒らされる事にもなりますから。くれぐれも人に話さないと約束して下さい」
福島の真剣な顔に、おもわず田岡は、
「当然です。そんなことになったら大変なことになりますよね。大事な松本市の史跡ですから、絶対むだに口外しないと約束します」
妙子と清水先生も、当然なことと約束した。
林城 地獄の釜