まつもと物語 その20

    一ノ瀬教授

 

 田岡は自分の職場で書類をまとめていた。福島から聞き取りしたメモを見ながら、今まで教えてもらった松本城や城下町の歴史をレポートとして書き記していた。妙子から聞いた伝説もタイトルをつけてまとめてみた。

 

・小笠原家が守護として長く松本の地を治めていた歴史

林城とその周りの支城(井川城、深志城など)

小笠原長時が武田軍から追われ諸国を放浪する経過と小笠原流の伝授

小笠原貞慶が放浪の旅から三十三年ぶりに深志城へ帰還(松本城と名を変える)

・初代城主石川数正の出奔と松本に移封された経過

石川数正・康長父子の松本城と城下町づくりの経緯

松本城の構造と特徴

松本城の危機と市川量造、小林有也の功績

・明治の大修理と昭和の大修理

・玄番石伝説 ・駒つなぎの桜 ・二十六夜神伝説 ・多田加助と傾いた城伝説 など

 

しかし、松本歴代城主として小笠原家以降の戸田家・松平家・堀田家・戸田家に関してはまだまだ話を聞けていない。特に最後の信濃松本藩主・戸田光則においては興味深いので、後日また福島さんから聞き取りしたいと考えていた。

 

 そこへ、上司の草間係長が田岡の席にやってきた。

「田岡君、どうだいレポートの方は順調かい?」

草間は書類を手に取り、ざっと目を通すと、

「略まとまったみたいだね。うん結構詳しく書かれているね。ここまで調べるの大変だったろう。ご苦労様」

「はい、福島さんたちに色々教わったので助かりました」

「実は、田岡君にもうひとつ頼みたいことがあるんだ。来週、東京から大学の教授がいらっしゃる予定があって、是非、松本城を見学したいとおっしゃっているんだよ。説明は学芸員の福島さんにお願いするとして、田岡君にはその先生のアテンドをしてもらいたいのだが、いいかなあ?」

「その大学の教授ってどんな方なんですか?」

「課長の話だと、早稲田大学の一ノ瀬教授といって日本城郭協会の理事もされており、有名な歴史学者の先生だそうだ。松本は初めてではないが、改めて松本城のことを勉強したいとおっしゃっている。君も色々勉強してきたみたいだから丁度いいと思ってね」

「そうなんですか。はい、わかりました。失礼の無い様案内をさせて頂きます」

「じゃあお願いするね。これが相手先の電話番号だ。事前に連絡取り合ってくれ。福島さんには頼んでおいたから、あとの段取りも君にまかせるよ。そうだ、さっきのレポートも教授に差し上げたらどうだね」

「えっ、そんな偉い先生にお渡しするなら、もう一度、しっかり書き直します」

「君、よかったら庶務課に頼んでそのレポートをタイプライターで打ってもらったらどうだ」

「大丈夫です。なんとか清書します」

田岡は、大変な仕事を引き受けてしまったと少し後悔する反面、その歴史学者の先生に会えることがすごく楽しみになった。

 

 十一月も半ばを過ぎ、松本はもう冬といってもいい。広葉樹はもうすっかり葉を落とし細い枝ばかりで ある。紅葉の時期はもう過ぎてしまい、山の頂は白く化粧している。街中を行きかう人々は誰もが身体を厚手のコートで覆っていた。

田岡は駅の改札口で教授を出迎えていた。電車が着くとどっと人が出てきた。田岡は頭上に「一ノ瀬様」と書いた画用紙を掲げていると、それに気づいた一人の老紳士が近づいてきた。

「市役所の方ですか?」

「あっ、はい、私、松本市役所の田岡と申します。一ノ瀬先生ですね。お待ちしておりました」

「わざわざ、出迎えに来てもらいご苦労様ですね。どうもありがとう」

田岡は歴史学者の大学教授と聞いていたので、勝手に居丈高(いたけだか)で尊大なイメージをもっていたが、優しそうな笑顔で物腰の柔らかそうな感じの先生であった。

「先生、長い時間電車に乗られ、お疲れになりましたでしょう」

「ああ、さすがに四時間以上も座っていると、腰が固まってしまったよ。ははっ」

駅舎をでると、天気は良いが風が冷たかった。

「やはり、松本は寒いなあ。久しぶりに来たが駅前もすっかり変わって意外と車が多いのには驚いた。でも やっぱり松本は山がきれいだな」

正面には美ヶ原の王ヶ鼻が見える。しかし、たくさんの電線が網の様に張っており、その綺麗な山並みを邪魔していた。

「先生は、以前も松本に来られたと聞いていますが、それはいつ頃ですか?」

「う~ん、確か私が二十歳過ぎで昭和の初めころだったから三十年ぶりかな。上高地へも行ったんだが、とても良かったなあ」

「そうなんですか。先生、今日は浅間温泉に宿をとってありますので、これからご案内いたします。松本城は明日、ご案内する予定ですが宜しいでしょうか?」

「ああ、お願いするよ。楽しみだな」

「では、宿までタクシーで行きます。乗り場はあちらです。あっ、先生お荷物お持ち致します」

その時、チンチンと鳴らしながら一両の路面電車が近くの乗車場に止まった。

「田岡さん、タクシーもいいが、あの路面電車に「浅間温泉行」と書いてある。あれに乗って行こうじゃないか。市内をゆっくり見て行くのも久しぶりでいいからな」

「先生がその方が宜しければ、電車で参りましょう。2~30分ほどで着くと思います」

 ふたりは、急いで電車に乗り込んだ。ゴ~ッと低い音をさせながらゆっくり電車は市内を走っていく。松本製糸工場(旧片倉製糸紡績)近くまでは店舗や民家が密集していたが、横田を過ぎる辺りから急に 民家が疎らで閑散としている。電車は途中十七か所の停留所に止まったが、二十分ほどで終点の浅間温泉駅に着いた。時計を見ると五時をすぎており、あたりは、もう薄暗くなってきた。

 浅間温泉の歴史は古く、西暦七百年ころの飛鳥時代からと推測されている。初代松本藩主の石川数正により「御殿湯」が置かれ、代々の松本城主も通っている。武士たちの別邸も建ち並び「松本の奥座敷」と 呼ばれていた。明治時代に入ると多くの文豪に愛される温泉地となり、竹久夢二与謝野晶子田山花袋正岡子規、伊東佐千夫などが訪れ、この地で優れた作品を残している。

 

 駅舎は二階建てのモダンな建物である。その駅舎をでると、すぐ目の前が「梅の湯」であった。ふたりは この宿に入った。広い玄関ロビーには、朱色の絨毯が敷かれ、いくつも調度品や生け花が置かれている。

 ふたりが「梅の湯」に入ると、すでに田岡の上司の草間と学芸員の福島も着いており、皆で一ノ瀬教授を 迎えた。一通り紹介が済むと、

「先生、お疲れさまでした。部屋でしばらく寛いで頂き、宜しければ先に温泉で身体を癒してください。後ほど広間に食事をご用意致します」

「ああ、ありがとう。ではそうしよう」

 ふたりの仲居により二十畳ほどの広間に八人分の膳が用意された。雪見障子から庭園の明かりがほのかに見える。下から照明を当てた松の木が暗闇の中に浮かび庭木や大きな石が風情を醸し出している。暗くて全体が見えないが、相当こだわって造り上げた日本庭園のようだ。この頃、浅間温泉は全盛期で、どの旅館も贅を極めた建物の拵えを競っていた。

 しばらくすると、副市長と課長三人が遅れて入ってきた。皆、お揃いの浴衣と丹前を羽織り席に着いた。 田岡も入り口に近い下座に座った。そこへ顔を熱(ほて)らせた教授が同じ浴衣丹前を着て入ってきた。

「先生、湯加減はどうでした」草間係長が声を掛けると

「ああ、なかなかいい湯だった。すっかり身体が温まって旅の疲れがとれた気がする。ありがとう」

副市長、課長たちも名刺を出し挨拶が済むと、皆ビールを注ぎ歓談をはじめた。副市長が教授にビールを注ぎながら

「先生は、日本中のお城をご覧なられたのですか?」

「そうですね。私も城廻りは大好きなので、今までいくつも城は見てきました。姫路城、松江城彦根城犬山城は特に歴史深くてよかったですね。実は松本城を若い頃に一度見ているのですが、その時はどちらかと言うと城より山が好きでアルプスばかり気になっていました。ですから、今回、改めて松本城をじっくり見たいと楽しみにしていました」

「そうですか。では明日は学芸員の福島君にしっかり案内させて頂きます。福島君、よろしく頼みますよ」

「はい。わかりました。宜しければ、城をご案内しました後、隣にあります博物館にも是非お立ち寄りください。」

「それは、有難いです。是非見学させて下さい」

そこで、草間係長が口を挟んだ。

「先生、その時に、田岡が作成しました松本城のレポートも、御一読して頂いて宜しいでしょうか。彼が松本城や城下町の事を色々まとめたものです。私もひと通り読みましたが、とても詳細にまとまっていたので何かと参考になると思います。なあ、田岡君」

「あ、はい。いや歴史専門の教授にお見せできるものかどうか恥ずかしいです。あくまで、松本市民や観光客向けにまとめたものですので‥」

「いやいや、田岡さん、歴史学というものは学者だけのものではありません。むしろ多くの一般の方たちに歴史を知ってもらうことの方が大事です。それを分かり易く正しく伝える事が歴史学の本質だと思っています。是非、そのレポートも参考にさせて下さい」

 

 翌朝、「梅の湯」を後にすると、田岡は一ノ瀬教授をタクシーに乗せ松本城へ向かった。外は相変わらず寒かったが、幸いにも晴天に恵まれた。

クルマを降り、教授は天守閣を前にすると、

「やはり、松本城はいいね。この土地にしっかり溶け込んでいるようだ。田岡さん、君の家も松本かい?」

「はい、私も小さい頃より松本城を見て育ちましたが、最近になってようやく松本城の歴史を知りました。もっともっと大勢の人に松本城を知ってもらう為、いま観光振興課という部署で松本城の魅力を地元や県外に発信できるよう準備しています」

「それは、いいことだ。私も少しは協力させてもらうよ」

「先生に、そう言って頂けると心強いです」

すると、「おはようございます」と声がして博物館から福島がやってきた。

「先生、昨日は色々お話を聞かせて頂き、ありがとうございました。宜しければお荷物を館内でお預かりしますので、早速松本城を案内させていただきます」

「ああ、では宜しくお願いします」

 黒門の入り口には、管理事務所の高橋さんが迎えに出ており丁寧にお辞儀をした。実は田岡が事前に「東京から偉い歴史学の先生が見学にいらっしゃるので宜しく」と知らせてあったのだ。

田岡の顔をみると、ニコッと笑って敬礼をして戯けてみせた。

 

 田岡は福島が教授に色々説明しているあとを邪魔しない様に付いてまわった。福島は妙子が話した内容とは違い、かなり専門的な説明をしており、その都度、教授は頷いている。

更に、普段一般公開していない乾小天守の四階・最上階や一階床下の天守台も案内してまわった。

天守閣をひと通り見学し終わると、福島は、また最初の入り口に戻り黒門の櫓の中に教授を案内した。

「先生、この黒門はまだ復元工事の途中ですので、少し足元に気を付けてください。ただ、仕上げもほぼ 終わっていますので、来年の春頃には完成する予定です。実はこれを造るにあたり昔の普請図が見つかりませんでしたので、名古屋城の櫓門を参考に市川清作先生に設計をお願いしたものです。引き続き、二の門として高麗門と控塀を復元できれば完全に枡形の入り口が復元できると思います」

「なるほど、早くそれも出来るといいですね」

この黒門(一の門)は昭和35年に完成するのだが、高麗門(二の門)が完成するのは、それから30年後の平成元年11月になってからである。因みに東からの出入り口である太鼓門も復元されたのは更に十年後の平成11年の事である。

 

空は秋晴れであったが寒さで冷え切った三人は黒門を出ると、まっすぐ暖房で温まった博物館に戻った。

「やはり、松本は冷えるね。天気は良いが風があると身を切られるようだ」

そこへ、妙子がお茶を持って部屋に入ってきた。

「先生、いらっしゃいませ。宜しければ温かいお茶をどうぞ」

「ああ、ありがとう。これはありがたい」と両手で湯呑を抱えると、美味しそうにお茶をすすった。

「福島さん、色々説明してくれたお陰で、松本城の事がだいぶ分かった。とても参考になったよ、ありがとう」

「先生に、そうおっしゃって頂けると私も嬉しいです。少しでも、先生のお役にたてれば何よりです」

「これ程の歴史的文化価値の高い建物をしっかり保存してきたのは、松本の皆さんの努力の賜物と言っていいでしょう。是非、これからも大切に管理して頂くようお願い致します。私も今までいくつか城を見てきましたが、松本城は四百年前の状態をそのまま現在まで残した最も素晴らしい城だと思います」

 

一ノ瀬教授は、満足そうな顔をすると、田岡の方に顔を向けた。

「ところで君は、今の日本に昔からの姿で現存している城がいくつあるのか知っているかい?」

「えっ、すみません。よくわからいです。3、40くらいですか?」

「残念ながら、そんなには無いんだよ。殆どが石垣だけしか残っていなかったし、最近になって復元建築されたものばかりで、建築した当時のまま現存する城は全部で12か所なんだよ。

 その中でも松本城は最も古く1594年に造られているが、他の城の天守はすべて〈関ヶ原の戦い〉の1600以降に建設されたものなんだ。しかも松本城は戦国時代に秀吉に命じられ造った大天守と泰平の世に家光を迎えるために造った月見櫓がみごとに融合されている珍しい天守だ。これだけでも歴史的価値が充分あるといえるんじゃないかな」

 

「そうなんですね。私は他のお城の事は殆ど知りませんが、松本城ってそれほど貴重な城なんですね」

「もともと、お城というのは、敵の攻撃を防ぐために築いた砦のような防御の櫓なんだが、それらは全国 各地に4~5万ほどもあったようだ。その内、石垣や天守のある近代的なお城は戦国末期から江戸初期の50年くらいの間で400ほど造られたんだ。

 しかし、江戸幕府の「一国一城令」により半数以上が取り壊しとなり、170城ほどに激減した。更に 明治時代に入り、お城が無用の長物とされ「廃城令」が出されたのだが、ここでも多くの城が取り壊され、軍用として使える城だけを残そうとしたんだ。その後、西南戦争のような戦が続きその多くが攻撃の的となり、結局天守が残された城は十二城となったんだよ」

「それで、昔のままの形で現存する城がたった十二城しかないとというわけですか」

「そうなんだ。その後も太平洋戦争の空襲で各地の城廓が失われたんだが、戦災や火災を免れた松本城は とても貴重だったので昭和27年に国宝になったんだよ。ほかにも姫路城、彦根城犬山城が同時期に国宝になったがね」

「先生、ありがとうございます。改めて松本城が貴重なお城だと認識しました」

「そうだ、田岡さん。松本城についてレポートを書いたんだってね。ちょっと見せてください」

「すみません。未熟な文章で恥ずかしいですが、こちらです」

田岡から渡された書類をしばらく読むと、

「いいんじゃないかな、わかりやすくて。この伝説の事は私も初めて知ったよ。歴史学において、こういった 伝説や民話も結構参考になるんだよ。田岡さん、君は松本城の観光誘致する仕事をしていると言ったね。この松本城の事を分かり易い文面でお城の中にいくつも案内板をつくって、観光客に読んでもらえる様にしたらどうだろう。きっと興味を引くことだろうし、大勢の人に松本城の貴重価値を知ってもらえると思うよ。

それから、城内の案内板だけでなく、駅前や大きな店舗、県外へのPRもどんどんやるべきだよ。私は 松本城の良さをもっと大勢の人に広めて欲しいと思っているからね」

「ありがとうございます先生、私も同じような事を考えていました。早速取り掛かりたいと思います」

 

 妙子は頷きながら教授がお茶を飲み干すのを見て、

「先生、温かいお茶に入れ替えますね」と新たにお茶を注ぐと、例の古文書を福島に渡し、自分も席に着いた。すると福島が、

「一ノ瀬教授、私達からもひとつお願いがありますが宜しいでしょうか?」

「はい、何でしょうか」

「先生は、歴史を調査する上で、普段いくつも古文書を読んでおられると思いますが、先生にお願いしたいのは、この古文書です」

と言って、田岡が持ち込んだ手紙を机の上に広げてみせた。

「これは、田岡君のおじが明治の末頃、松本城の修理をしていた際に天守の小屋裏で見つけた手紙らしいのです。私たちも何度も解読しようとしたのですが、なかなか文章の解釈が出来ず困っておりました。出来ましたら、先生のお力をお借りして是非鑑定して頂ければと思いますが如何でしょうか?」

「ほう? 天守の小屋裏とは、また妙な処から出てきた手紙ですね」

一ノ瀬教授はメガネを胸ポケットから取り出すと、じっくりそれをながめ始めた。

しばらく、考え込む様子を見せていた教授がやがて口を開いた。

「う~ん、これは多分「隠し文」といわれる密書の様なものと思うのだが、少し時間を頂かないと私にもすぐには解読できないなあ。ただ、大久保藤十郎から石川玄蕃頭宛にわざわざ、こんな謎めいた手紙を送ったというところが気になりますね」

「そうなんです。ところで先生、隠し文とは何ですか?」

「戦国時代や江戸時代初期によく使われた密書のことだ。その頃は通信手段として手紙しかなかったが、重要な文書が万が一、敵方に渡ったとしても、その内容がすぐに分からない様にしたものなんだ。味方同士だけに通じる法則をもって解かないと読めない文章になっている。福島さん、よかったら、ひとまず私に預からせて貰えるだろうか?」

「もちろんです。先生にそうおっしゃって頂ければ助かります。どうやら、私たちの手に負える古文書ではなさそうです。先生、宜しくお願い致します」

「わかりました。出来るだけの事はやってみましょう。」

そう言うと、手紙を丁寧に折りたたみ書類入れにしまうと自分の鞄に収めた。

それを見た田岡が、すかさず教授に問い掛けた。

「先生、すみません、その大久保藤十郎という人はどんな人物なんですか。石川長康とはどんな関係なんですか」

その手紙を叔父から預かっていた田岡にとっては、以前からこの二人がなぜ手紙をやり取りしていたのか疑問に思っていた。ましてや、通常の手紙ではなく何か謎めいた内容だと聞くと、大久保という人物に益々興味がわいてきたのだ。

「それでは、折角なので大久保藤十郎について話す前に、まず、その父・大久保長安という人物から説明していきましょう」

       松本駅前を走る路面電車(通称チンチン電車