まつもと物語 その23

教授からの手紙 三月に入ると、いくらか寒さは和らぎ、朝夕の自転車通勤も少し楽になった。安夫は職場で新しい観光客誘致の企画書をまとめ上げている最中だった。 「田岡さん、二番に外線です。福島さんと言う方です」 女子職員が声を掛けた。安夫が受話器を…

まつもと物語 その22

師走 それから、ひと月が過ぎ十二月に入った。師走と言うだけあって庁舎の中も皆なぜか忙しく動き回っている様に見えた。 田岡も、観光推進の資料作りや松本城の案内板と駅構内に貼る宣伝ポスター作製にも手をとられていた。そこに同僚の宮下が声をかけてき…

まつもと物語 その21

大久保長安 長安の父・大蔵信安は祖父の代より継承された猿楽師(狂言師)であり、その次男として天文十四年、甲斐国で生まれた。信安は猿楽師として武田信玄のお抱えであり、息子の長安は信玄の家臣となり武田領の黒川金山などの鉱山開発に従事していた。 …

まつもと物語 その20

一ノ瀬教授 田岡は自分の職場で書類をまとめていた。福島から聞き取りしたメモを見ながら、今まで教えてもらった松本城や城下町の歴史をレポートとして書き記していた。妙子から聞いた伝説もタイトルをつけてまとめてみた。 ・小笠原家が守護として長く松本…

まつもと物語 その19

松本城案内 田岡が外で待っていると、淡いブラウンのジャケットを着た妙子が小走りに玄関から出てきた。 「田岡さんお待たせ。福島さんの話どうだった?」 「うん、色々と僕の知らない話が聞けて面白かったよ。石川父子の話を聞いた後に改めて松本城を見ると…

まつもと物語 その18

少憩 話がひと段落したところで、福島は飲み残しのお茶を飲み干すと、 「いかがですか。ここまでで何か質問ありますか?」 「ありがとうございます。すっかり聞き入ってしまいました。石川数正は結局、松本城が完成しないうちに亡くなってしまったのですね。…

まつもと物語 その17

城下町 数正達は、ひと通り下見が済むと一旦大阪に戻り、城造りの計画と準備に取り掛かった。この城は、徳川に対する包囲網のひとつであるが、秀吉の大阪城に倣って権威と実戦に備えた雄大な築城計画を進めた。 そして、秀吉の許しを得ると建築資金の援助を…

まつもと物語 その16

松本城主 松本市は十月に入ると、残暑どころか朝晩は急に寒さを感じる様になり、衣服も少し厚手のものが欲しくなる。近くの公園には白やピンクのコスモスが一面に咲き乱れていた。田岡は福島学芸員から松本城の歴史を学ぶため、再び博物館を訪ねた。 「福島…

まつもと物語 その15

葉守りの神 話が終わると、清水先生は目の前の麦茶を一気に飲み干し、ふっと息をついた。 「どうだい、石川数正は自ら裏切り者となって、家康と秀吉という偉大なふたりの仲を取り持ったというわけだ。凄い人物だとは思わないかい?」 「はい、石川数正という…

まつもと物語 その14

関白秀吉 大阪城の屋根が晩秋の薄日に照らされ黄金色に輝いていた。入り組んだ城内を数正は複数の兵士に囲まれながら五重の天守へ導かれた。天守外壁は白の漆喰、腰板は黒い漆が塗られている。しかし、真っ先に目を奪われるのは、何といっても金色の装飾を設…

まつもと物語 その13

数正出奔 石川数正は、岡崎に戻ると、二、三日自分の部屋に閉じ籠った。その間、数正は机の上に硯を置き、ひたすら徳川の軍法を書き綴っていた。軍法とは、徳川の戦における戦略・戦術など兵法や陣法のことであり、重臣しか知らない最高機密である。 徳川か…

まつもと物語 その12

秀吉の勢い 大阪までの随行は、数正の家臣20騎に加え、警護役の井伊直政の30騎のみである。 こうして、於義丸が浜松城を発ったのは、使者滝川雄利が戻ってわずか20日後の12月12日であった。 一行が大阪城に着き、大広間に通されると、秀吉をはじめ、秀吉の弟…

まつもと物語 その11

和議の礼 家康は、講和後の秀吉の真意を探るためにも、〈和議の礼〉を家康の懐刀といわれた石川数正に託した。数正は武将として頼れている存在だけでなく、かつて「桶狭間の戦い」の後、今川から離反した家康が、信長と対等同盟(清須同盟)となる交渉を行な…

まつもと物語 その10

戦国時代話 松本も七月の半ばを過ぎると梅雨が終わり、盆地特有のうだるような暑さが続く。松本は比較的湿度は高くはないが、高原にでも行かない限り都会人が言うほどさわやか信州でもない。 田岡の家も、夏の必需品といえば、扇風機、団扇、蚊取り線香、そ…

まつもと物語 その9

古文書 福島は時計をみると、もう正午を過ぎていた。 「話は一区切りしたところで、どうです、お昼ご一緒しませんか?」 三人とも席を立ち外に出ると、昨日から降り続いていた雨も止み、ネズミ色の雲の切れ目に青い空も覗いていた。 皆は近くの食堂に入ると…

まつもと物語 その8

天正壬午の乱 「では、これから、松本を制した武田信玄についてお話させて頂きます。 武田信玄が、松本を侵攻したのには、理由があります。もちろん領土を拡大したいという野望も持っていたでしょうが、ひとつは、海に面する土地、いわゆる重要な塩を確保す…

まつもと物語 その7

小笠原一族 松本も六月に入ると梅雨の時期となる。ただ、松本は他県に比べそれ程長雨は続かない。どちらかと言うと曇りの日が多く、時々雨が降るという感じだ。したがって、湿度もそれ程不快ではない。 しかし、その日は昨夜から小雨が降り続いており、安夫…

まつもと物語 その6

新組織 翌日、田岡はいつもの自転車で新庁舎に向かった。通勤途中の松本城が今日も漆黒の姿で雄大にそびえ立っている。青空に浮かぶ白い雲、遠くにわずかに雪が残っているアルプス。爽やかな風が顔にあたって気持ちがいい。いかにも五月晴れの朝だった。庁舎…

まつもと物語 その5

新庁舎 翌日、田岡は旧市役所に向かった。旧というのは、この四月にお城の東に新しくできた市役所に移転することとなり、ここ数日、その引っ越し作業に追われていたのだ。 旧市役所は上土町の女鳥羽川沿いにあり、大正二年に木造二階建ての庁舎が完成してか…

まつもと物語 その4

郷原街道 次の日曜日、安夫は家を出ると松本駅へ行く前に商店街へ向かった。今町通りまでくると、右手に大きな百貨店(井上デパート 明治十八年創業)があり、屋上から幾つものアドバルーンが上がっている。大きな赤い気球の下には『紳士服は井上で 販売中』…

まつもと物語 その3

街の銭湯 ふたりは別れると、田岡は城西町にある自宅に向かった。 田岡の家は、以前祖父が米問屋をやっていた頃、松本駅南側の博労町(ばくろちょう)(本庄一丁目)という町に大きな店舗兼住居を構えていたが、終戦後、道路拡幅のため市から移転命令があった…

まつもと物語 その2

西堀界隈 宮下は帰り支度をしながら、 「おい、田岡、疲れたから、軽く一杯やって帰らないか?」 「いいねえ。じゃあ、ちょっとだけ行こうか」 二人は、西堀の飲み屋街に向かった。行きつけの居酒屋に入ると時間が早いせいか、まだそれ程混んでいなかった。 …

まつもと物語 その1

城山公園 昭和三十四年、「もはや戦後ではない」という言葉が流行して、多少貧しくとも日本は高度成長期の入り口に立ち、明るい兆しが見えて来た時代であった。信州の寒気厳しい冬も四月の半ばともなれば、日毎に暖かさを取り戻してきた。松本市の北に見える…

まつもと物語 新作発表‼

皆さん、長野県の松本城は誰が造ったのかご存じですか? たぶん、多くの方に石川数正父子だという事だけは知られていますね。 では、松本城はどういう経緯で造られたかご存じですか。さらに言えばどうやって松本市ができたかご存じですか? 松本生れ松本育ち…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その50 最終話

使節団帰国 五月十三日、いよいよ、ナイヤガラ号に乗船しニューヨーク港を出帆した。帰国ルートは大西洋からアフリカ喜望峰を廻り香港経由で日本に向かう事とした。 五月二十八日、セントビンセント島(ベネズエラの北)に寄り薪や水を補給した。しかし、現…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その49

四月二十七日、一行はフィラデルフィアを出発し、船と列車を乗り継ぎニューヨークに着いた。 マンハッタン島の南端の波止場バッテリーパークからブロードウェイを馬車でパレードすることになった。その圧倒的な歓迎市民の数はこれまで各地で慣れてきたはずの…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その48

四月二十四日、一行は造幣局を訪れた。小栗は造幣局長のスノーデンと挨拶を交わすと、小栗は上目遣いで局長の顔をみて、早速、話を切り出した。 「ワシントンから既に連絡が入っていると思いますが、こちらでドル貨幣と日本の一分銀貨の分析実験を行なって欲…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その47

四月八日、デュポン大佐が帰国のことを相談に来た。 「新見さん、先日あなた方が希望されていたポーハタン号に乗って、もと来たように太平洋を渡って帰りたいと仰っていましたが、実はその船がかなり修理しなければならなくなりました。それを待っていると一…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その46

当時のアメリカには大きな悩みがあった。それは人種差別問題だ。南部地方の市民は黒人を非人間扱いし、自分たちの自由な下僕とする奴隷制度を正当化しようとしていたが、北部側の市民はそれに対し強く非難し、将にアメリカは南北で分裂しようとしていた。特…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その45

三月二十七日、この日は群集を避け密かに出掛けた。通訳の名村五八郎は常に新見と村垣の後に付いていた。彼らが乗った馬車はアメリカ国務長官ルイス・カス邸に着いた。新見たち一行はカス長官に面会すると早速、咸臨丸の修理をして頂いた事に対し謝意を述べ…