まつもと物語 その4

郷原街道

 

 次の日曜日、安夫は家を出ると松本駅へ行く前に商店街へ向かった。今町通りまでくると、右手に大きな百貨店(井上デパート 明治十八年創業)があり、屋上から幾つものアドバルーンが上がっている。大きな赤い気球の下には『紳士服は井上で 販売中』と書かれた垂れ幕が風になびいている。

 その百貨店の前には、東西に長く延びた六九商店街がある。何年か前にアーケードが造られ、その屋根のおかげで雨や雪の日であっても買い物は本当に便利になった。

六九というのは妙な名前だ。以前、近所のおじさんから、

「江戸時代に、このあたりに馬屋が五十四棟あってな、六掛ける九が五十四だから、六九といったんだ。はははっ」

 この時、おじさんのつまらない冗談だと思ったが、どうやら、その話は本当らしい。

その通路は洒落た石畳で舗装された歩道で、その商店街には大勢の人が往来している。ここは年中、車両通行禁止となっており、言わば歩行者天国だ。中に入ると通路には、たくさんのワゴンが置かれ、そこにぎっしりと古本が詰め込まれてある。今日は古本市らしく面白そうな本が並んでいるが、用事があるのでグッと我慢した。お茶屋さんの店先では、客寄せの為わざとお茶を煎じており、なんとも言えないくらい良い香りをまき散らしている。安夫はその隣の和菓子屋に入り、手土産用の菓子をいくつか買い商店街を出た。

 木造二階建ての松本駅前に着くと、さすがに往来の車が目立つ。自家用車、オート三輪、市内バス、タクシーが何台もゆっくり流れている。突然、後ろで「チン、チン」と大きなベルが鳴った。駅前通りを走る一両だけの路面電車だった。屋根の上のパンタグラフと電線がときどきパチッパチッと小さな火花を見せた。

 この路面電車は本通りをまっすぐ東に進み、突き当りの信州大学文理学部(現在は重要文化財旧制高等学校校舎)の前をほぼ直角に北に折れ、浅間温泉まで行く電車である。途中何か所にも停車するが二十分程で到着する。聞くところによると、この急カーブを曲がり切れず度々脱線したという。その度に数人の大人がバールを持って軌道に戻したらしい。

 カーブを曲がり暫くするとその先は道路がまだ舗装されておらず、結構、土煙がたつので時々散水していた。ちなみにこの通称「チンチン電車」は大正12年から40年間市民の足となっていたが、昭和39年に車の交通量が増えると共に道路が混雑するという理由で市民から惜しまれながら廃止となった。

 安夫は小銭を出し塩尻までの切符を買った。駅構内に入ると、入り口で国鉄駅員が手慣れたハサミでパチパチ音を鳴らしながら、切符の端に小さなM字型の切れ目を入れた。足元には切られた紙片が散らかっている。しばらくホームで待っていると、列車が入ってくる。この頃には石炭を燃料とした蒸気機関車は煤煙が不快だと乗客から苦情が強くなった為大幅に減少し、代わってディーゼルエンジンが主流となった。 

 ホームに入って来たこの列車もいわゆるディーゼル機関車である。五年ほど前、安夫達家族で直江津に海水浴に行った時は、大糸線は汽車(蒸気機関車)だった。トンネルに入る際、誰かが開けていた窓を閉め忘れ、車内にへんな臭いの煙が入ってきて、皆が大騒ぎしたことを思い出した。

 松本から新宿へ行く列車は、安夫が大学に入った年の昭和29年に準急列車アルプスが登場し一日一往復だった。現在の特急あずさが運行開始したのは昭和41年であり、当初は一日二往復しか運行していなかった。

しかも、塩尻から諏訪へ行く為には辰野回りだったので、更に時間も三十分ほど多くかかった。塩尻ー岡谷間の塩嶺トンネルが開通したのはそれから二十年後の昭和58年である。だから、安夫が松本から新宿へ行くには四時間、夜行列車だと六時間もかけなければならなかった。

 塩尻駅に着いた。駅前は松本駅とは全く違い、人も車もまばらだった。ここ塩尻は三月までは塩尻町だったが、この年の昭和34年4月1日付けで広丘や片丘と合併して塩尻市になったばかりだ。

 バス停で郷原行の時刻表をみると、次のバスまで四十分以上待つこととなる。安夫は歩いていく事にした。郷原までの道のりは草ばかり生えて舗装などされていない轍(わだち)の残る歩きにくい道だった。周りは畑ばかりで民家もまばらである。どちらかと言うとブドウ畑が多く目立つ。老舗のワインメーカーもこの地にある。

 また、この辺り一帯は桔梗ヶ原といい、昔、甲斐の武田信玄信濃に侵攻した際、戦場となった場所でもある。この〝桔梗が原合戦〟に勝利した信玄がその後、何年も信濃を領地として支配していたという歴史がある。

 三十分ほど歩くと、郷原街道に着いた。ここは善光寺街道とも呼ばれ、幕府支配下中山道とは違い、江戸初期に松本藩によって造られた宿場街である。道の両側には町家家屋と街道との間に二間(約3.6m)の前庭を置くことが定められていたので、とても美しい景観の宿場街である。

 江戸や大阪から多くの善光寺参拝客が途中の宿場として利用したらしい。建物の殆どが本棟造りといって、正面の玄関の上には大きくゆるい勾配の切妻屋根となっており、屋根の棟(むね)には雀おどしと呼ばれる棟飾りが建物全体に威厳を感じさせている。現在は宿として営んでいる家は殆どないが、いまでもそれぞれの玄関横にその旧宿の屋号の札(伊勢屋、川上屋など)が掛けてあるのが見られる。

 

 少し先に行くと、右手に郷福寺(きょうふくじ)があった。古井戸跡とその横に「高野山真言宗 桔梗山郷福寺」と書かれている碑(いしぶみ)がある。ここも昔は大名の宿泊宿として利用したらしい。本堂前には俳人松尾芭蕉も訪れたのか芭蕉の詠まれた句碑もあった。その郷福寺の横に東に向かって細い道が続いている。200m程進むとその先に叔祖父(おおおじ)の田岡敏夫の家があった。母に地図を描いてもらったが、ここまでくると子供のころ母と来た記憶がよみがえった。

 

 さほど、大きくはない二階建ての母屋とその横に土蔵が並んでいる。手拭いを頭に被った年配の女性が畑で何やら作業をしている。安夫はその女性の背中に向かって、

「おばちゃん、こんにちは」

と声をかけた。振り向いた顔は少し日に焼け、額にうっすらと汗が光っていた。

「エッ、ああ、安夫ちゃん?」

一瞬驚いた様だったが、やがて顔がほころび笑顔になった。

「安夫ちゃんじゃないの! まあ、よく来たねえ。すっかり立派になって、おばちゃん見違えちゃったわよ」

前掛けの土ぼこりを手で軽く払い落としながら、

「はあるかぶりだねえ。さあ、さあ、家におあがり。お父ちゃんも家にいるからさあ」

と言う大叔母(おおおば)に安夫は案内され、玄関の敷居をまたいだ。

「こんにちは、安夫です。おじゃまします」

と叔祖父に聞こえるように少し大きな声をだして内に入った。

 

 居間に入ると、縁側で大きなひじ掛けの付いた籐の椅子にゆったり腰かけている叔祖父の姿が見えた。

「おお、安夫君か、久しぶりだな。大きくなったなあ。もういくつになった?」

「やだなあ、もう子供じゃないですよ。今年二十三になりました。ほんとにお久しぶりです。小学校のころ母と来た以来かなあ。そうだ、これ松本駅前で買った美味しいお菓子です。よかったら皆さんでどうぞ」

と和菓子の入った紙袋を大叔母に渡した。

「まあ、これはご丁寧に。安夫ちゃんありがとね。あとで頂くわ。今お茶いれるからゆっくりしてってね」

そういうと、台所へ支度しに行った。

 

 安夫は大叔父の顔を見ながら、子供の頃の記憶では筋肉質のがっちりした印象だったので、少しやせたかなと思った。

「おじさん、身体こわしたって聞いたけど、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。心配かけてすまないね」

お茶を運んできた大叔母が、口をはさんだ。

「お医者さまが言うには、軽い脳梗塞だっておっしゃるんだ。しばらく安静にして様子を見てくださいって。詳しくは近いうちに、また検査するそうよ」

「大した事がなければいいけど、やっぱり心配ですよね。今も大工さんの仕事を続けてるんですか?」

「いや、最近は身体がいうこと効かなくなったから、しばらく休んでるよ。もうわしも年かな」

今年、七十歳になった敏男は身体をさすりながら、笑って答えた。

「お父ちゃん、去年まではそこの郷福寺の補修工事もしていたのにね」

「なあに、ちょっと仲間の大工に頼まれて、少し手伝っただけだ。たいした仕事じゃなかったよ。だが、わしも昔はお寺や神社の建て替えや改築工事をよくやったもんだ」

「へえ、宮大工だったんですね。すごいなあ。尊敬しちゃう。匠(たくみ)の技ってやつですね」

「あははっ、そんな、たいそうなもんじゃないよ。安夫君もずいぶんお世辞がうまくなったもんだ」

安夫も案外、大叔父が元気な様子で安心した。

「安夫くん、昼はまだだよね、よかったら蕎麦でも食べていくかい。うち母さんの手打ち、なかなかいけるんだよ」

敏男は大叔母に向かって

「おい、母さん、安夫君に食べさせてあげたらどうだ」

「そうだね、安夫ちゃん、ちょっと待っててね。おばちゃんが今、美味しいお蕎麦用意するからね」

「えっ、お蕎麦ですか? うれしいなあ。お願いします」

「ところで、安夫君は今どんな仕事をしているんだね?」

「はい、去年から松本市役所に勤めています」

「たしか、高校卒業して、東京の大学へ行ったんだよね。大学卒業して市役所勤務か。本当にたいしたもんだ」

大学に合格したことは安夫の母から聞いていたらしく、敏男もうれしそうに言った。

「公務員になれたのはよかったのですが、まだ、わからない事ばかりで、毎日先輩から叱られています」

松本市役所か‥

「あった。確かこの袋だ」

そう言って、少し色あせた茶封筒を安夫の前に置いた。

「実は、安夫君にこの中に入っている物を市役所に返して欲しいんだ」

「えっ、市役所に返すって、何か借りていたんですか?」

「いや、そうではないんだ。実は、言いにくいことなんだが‥」

敏男は籐椅子に座りなおして、ゆっくり話を始めた。

その話というのは、敏男が若い頃、松本城の修理工事に携わったというところから始まった。

 

 松本城は、明治以降何度も危機的状況を迎えていた。

徳川幕府大政奉還後、明治維新が進むと、全国の天守が無用の長物となり、他県の城郭と共に松本城も破却の候補となった。

 

 明治四年(1871年廃藩置県により、それまで全国260あった藩がなくなり、「府」と「県」をつくり明治政府が中央集権化し行政を行うようになった。これにより、今まで各大名の持ち物で藩庁となっていた城が事実上役目を終えた為、明治六年には全国に廃城令が公布された。

この「廃城令」は城をすべて廃棄しろということではなく、明治政府として利用価値があるものは残すが、それ以外は廃城し、城の土地や資材(天守・櫓・門など建物や樹木)はすべて競売の対象となり、民間に売り払うというものだった。

 事実、一般の民間人が買い取るケースもあったが、主に地方公共団体の庁舎(市役所)や学校の用地として売却された。そして、松本城も大蔵省によって競売にかけられ、天守閣が235両、付合物を合わせて計309両で笹部六左衛門という個人に売却されてしまった。現在の金額で1千万円位と思われる。

 これを知った長野県初の新聞「信飛(しんぴ)新聞」を発刊していた市川量造は、天守がみすみす壊されてしまうことを憂い、これを買いもどそうと尽力し自分の私財を投げうち東京・大阪で募金を集めたり、有志らと松本城で博覧会を五回開催し、その収益でなんとか松本城を無事買い戻すことが出来た。

 

 二度目の危機は、松本城が長年の風化により、瓦や壁は剥げ落ち、更に大きく傾いてしまい倒壊寸前の状態であった。その様子を見かねたのが、当時城内の二の丸に建築されていた松本中学校の初代校長小林有也(うなり)である。小林は松本の人々の賛同を得て「松本天守閣保存会」を立ち上げ、広く募金を集めて修理に取掛ったのである。その工事は明治36年から大正2年までの十一年間かけて行われた。これが住民の力を結集した松本城「明治の大修理」である。

その後、昭和11年天守が国宝に指定され、昭和25年から五年間にわたり、今度は国の事業として天守の解体修理「昭和の修理」が行われ、現在の松本城が見事に復元されたのである。

 

 大叔父の敏男の話は、その「明治の大修理」に携わったころの話であった。

「俺がまだ大工見習の頃だったが、親方から松本城の修理工事が始まるからお前も手伝えって言われ、それから、ずっと親方についてまわったんだ」

「それって、いつ頃の話ですか?」

安夫は身を乗り出して、敏男の椅子のそばに座りなおした。

「確か、明治の終わりころだったと思うよ。完成したのが、大正二年だったからな」

 目を細めながら、敏男は話を続けた。

「最初に松本城を見たときは、さすがにびっくりしたよ。なんせ、壁のあっちこっちにひび割れができて、屋根瓦は崩れ、草がぼうぼう生えて、何といっても天守の最上階が傾いていて、いつ崩れるんじゃないかと思ったよ。天守建物の中に入ることすら、みんな怖がって文句言っていたのを覚えてる」

「そんなに酷い状態だったんですね。今の松本城があんなに立派なお城なのに」

「どこから、どう手を付けたらいいか、なかなか仕事が始まらなかったなあ。佐々木喜重(きじゅう)って棟梁が中心になって何度も設計の先生と棟梁たちが揉めていたっけ。崩れた石垣を直したり、天井や壁に太い筋交いを入れたり、屋根になんとか足場だけはつくって作業を始めたが、ヨロビ直しはみんな命懸けの仕事だった」

「ヨロビ直しってなんですか?」

「建物の傾きを直すことだ。地盤と基礎が弱かったのか自重に耐えられなかったのか、そのせいで本丸の傾きがひどかったから、それを直すには相当な工事だったんだ。天守の五階の通柱に何本も太いロープを巻き付けて、城の北側と東側から牛、馬、人力で引っ張るんだ。城を垂直に直すのに皆必死にやったが、何日もかかったなあ。ようやく天守の五階と四階が終わった頃に日露戦争が始まって、二、三年ほど一旦工事は中止になった事もあった。その後、親方と俺たちの組は大天守の最上階の梁や垂木の補強工事をしたんだが‥」

 話がまだ途中だったが、その時、大叔母が声をかけた。

「安夫ちゃんお待たせ。お蕎麦が出来ましたよ。野沢菜も食べてね。お父さんもこっちに来て座ってください」

「おお、出来たか。安夫君、話の続きは、これを食った後にしよう」

「はい、そうですね。あっ美味しそうなお蕎麦ですね。これ、おばちゃんの手打ちですか? すごいなあ」

「そうよ、この家に嫁いでから、義母に教わったの。たくさんあるから、いっぱい食べてね」

「はい、頂きます」

ズルっと一口啜ると、コシがあって歯ごたえが良い。更に口の中に蕎麦の旨みがひろがり、咽喉ごしも良かった。

「おばちゃん、すごく美味しいです。ツユもだしが効いてて、ホントうまいです」

「安夫ちゃん、そんなに誉めてもらうとおばちゃん嬉しいよ。よかったら、少しもってかえって家の人にも食べてもらって」

「ありがとうございます。きっと喜びます」

敏男は、松本城の修理工事のことで大事な話が残っていたのか、黙って蕎麦を啜った。

 

お皿の上のそばがきれいになると、

「どうだ、うまかっただろ?」

敏男は蕎麦湯を飲みながら言った。

「はい、美味しかったです。ごちそうさまでした」

 

 食べ終わって、少し落ち着くと、敏男はまた籐椅子に座りなおした。安夫はさっきから茶封筒の中身が気になっていた。

「さてと、話の続きをしよう。さっき大天守の最上階の梁や垂木の補強工事をしたって話をしたな。最上階の天井は桔木(はねぎ)構造といってな、重い瓦屋根の軒先が下がらないように、たくさんの垂木がテコの原理で入り組んでいる箇所があるんだ。わしは親方や仲間といっしょにその垂木の傷んだ箇所を補強していた時のことだが、一本の垂木の上に化粧板が貼ってあったんだ。妙なところに化粧板があると思って、それを剥がしてみると中に窪みがあって、そこに油紙に包んだものが入っていてなあ。ちょっとびっくりしたんだ」

そこまで話をすると、敏男はふうっとため息をついた。

 

「安夫くん、その茶封筒の中をみてごらん」

安夫はすぐにその封筒の中をのぞきこんだ。中には今、話にあった油紙と思われるものがあり、それをそっと抜き出した。かなり年代物らしく少し黒ずんでいた。ゆっくり丁寧にその油紙を開いてみた。すると中に手紙らしきものが折りたたんであった。少し引っ張っただけで、すぐ破れそうだったので、より慎重にその手紙を開いてみた。

しかし、一目見ただけでクネクネと達筆で書かれたその内容を読むことなど、安夫には到底出来そうもなかった。

「おじさん、これって昔の人の手紙ですよね。いったい何が書いてあるんですか?」

「残念だけど、俺にもわからない。手紙の中身はともかく、わしはとんでもねえ事をしたかもしれない。松本城といえば、国宝だろう。その建物から出てきた手紙を勝手に持って帰ってしまったんだ」

「おじさん、それって‥」

「そうだ。わしは泥棒って言われても仕方がないんだ」

敏男はすまなそうに俯(うつむ)いた。しばらく二人の間に沈黙が続いた。

「言い訳をいうようだが、あの時は、皆忙しくて殺気立っていたんだ。なにしろ竣工の日程が迫っていて、連日連夜の作業で皆疲れ切っていた。そんな時に親方に余計な手間をかけたりすれば、怒られるのはわかっていたので、仕事が一段落してから話せばいいかと、とりあえず家に持って帰ってタンスに入れておいたんだ。その後、わしも殆ど忘れていて、気が付いた時にはもうかなり月日が過ぎていたので、なかなか言い出しにくくなってしまってね」

「それで、今日まで、ずっとタンスに入れっぱなしだったんですね」

「そうなんだ。今更、お城でこれを見つけましたなんて言えなくてなあ。だが、やっぱりこれは役所に返さなければいけないだろ。だから、安夫君、ほんとに悪いんだがお前から事情を話して市役所の担当者に渡して欲しいんだ」

「わ、わかりました。僕のほうから、なんとかうまく話してみます」

心配そうな顔をして、そばで聞いていた大叔母が口を開いた。

「安夫ちゃん、お願いしますね。うちの人、根は真面目で正直で、ホントにそんな人様の物を盗んだりできない人なんだよ。私、お父ちゃんが警察に捕まったら、どうしよう。安夫ちゃん助けてね」

「おばちゃん、警察なんてちょっと大袈裟ですよ。心配しないで。だって五十年も前の話でしょ。もう時効じゃないのかなあ。そもそも、この手紙が本当に貴重なものかどうかも調べてみないとわかりませんよ」

「だが、国宝の城から持ち出したのは確かだ。いずれにしても、返さなきゃならないものだ。そうだろう安夫君」

「わかりました。それでは、僕が松本市役所の職員として、この書類を正式に受理します。僕が責任をもって関係する部署に届けますので、安心してください」

「そうか、それを聞いて、なんだか肩の荷が下りた気がする。ありがとう、よろしく頼むよ」

 少し緊張気味だったふたりは互いに顔を見合わせながら、徐々に頬がほころんだ。

 

「それでは、僕、そろそろ帰りますね。おじさん、手紙のことはもう心配しないで。それより、身体大事にしてください。おばちゃん、お蕎麦ごちそうさまでした」

「気を付けて帰ってね。お母さんにもよろしく伝えてね」

「はい、おばちゃんたちも今度松本に遊びに来てください。では、失礼します」

 玄関で二人揃って、見送りをしてくれた。安夫は軽く頭を下げ、元来た道を帰って行った。

                   傾いた松本城 明治30年