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小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その21

しかし、この条約締結は岩瀬と井上の独断行為であり、当然井伊直弼にとってみれば誠に心外であった。井伊はあくまでも朝廷勅許を前提にしていたからである。しかし、彼らが調印を断行してしまったのは、大老井伊直弼の責任であり、言い訳が出来ない状態であ…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その20

その日の夜、江戸城大広間の一室で緊急重臣閣議が行なわれていた。 上座には大老井伊直弼、その左横には老中首座堀田正睦、老中松平忠固、脇坂安宅、太田資始、間部詮勝、大目付永井尚志、また右側には若年寄、目付などが並んだ。そして、下座には海防掛目付…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その19

アメリカの軍艦ミシシッピー号から下田の領事館に恐るべき情報が入ってきた。英仏がアロー号事件をきっかけに清国に戦争を仕掛け、圧倒的な武力で広東や天津を占領したという話である。これに圧勝した英仏艦隊が、清国に続いて日本にも侵略を開始するため、…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その18

日米修好通商条約 安政五年四月二十五日、下田湾の北東。海岸から近い山裾に曹洞宗の寺、玉泉寺に老中首座堀田正睦と下田奉行井上清直は憂鬱な表情でむかっていた。ハリスが滞在する下田領事館である。古い石段を昇り朽ち果てそうな山門を潜ると、左横には黒…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その17

井伊直弼が大老となったその頃、長崎の海軍伝習所では、ある人物が訪れようとしていた。後に井伊直弼へ反旗を翻そうとした大名である。四月も半ばを過ぎたその日、長崎湾の波は穏やかで、霞(かすみ)かかったおぼろ雲が大きく流れていた。木村と勝は並んで伝…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その16

将軍家定と篤姫は、慶福を後継ぎにする前段として、養子として迎えた。徳川慶福(幼名菊千代)は十二代将軍徳川家慶の弟で紀州藩主徳川斉順の嫡男として江戸赤坂の紀州藩邸で生まれた。しかし、父斉順は慶福の生前すでにしている。その後慶福は次の紀州藩主徳…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その15

井伊直弼は江戸城本丸で大奥の本寿院(徳川家定の生母)に挨拶した後、将軍家定に謁見していた。井伊はこれまでも度々幕政について評議や情報を提供し、家定から全幅の信頼を受けていたのであった。 「恐れながら、殿、本日は彦根国元より取り寄せました珍味な…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その14

老中首座堀田が京から失意のまま城に戻ったその日、老中松平忠固(ただかた)が江戸城を出て彦根藩井伊家上屋敷に着いたのは、もうあたりが薄暗くなった時刻だった。客間に通されると、すぐに井伊直弼が姿を見せた。 「これは松平忠固様、わざわざお越し頂き、…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その13

将軍継承 薩摩藩主島津斉彬の養女となった篤姫は徳川将軍家に輿入れする為、将軍の正室として相応しい格式高い家柄になる必要があり、一旦は名目上、天皇に最も近い公卿の近衛忠煕の養女となった。その後、近衛家からの教育係だった御年寄幾島を伴って大奥に…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その12

元々日本では天皇や上皇が政治を司り、その天皇を補佐していたのが貴族(公家)であったが、鎌倉時代の頃から政治は征夷大将軍を中心とする幕府が政治を行うことになった。すると、公家たちは幕府から疎ましい存在となり、公家諸法度以後の諸法令による強圧…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その11

昨年、老中阿部正弘が亡くなり、内政の後を引き継いだのが老中首座堀田正睦だった。既に阿部から堀田は専任外相(外務大臣兼務)に任命されており、幕府としては外国貿易許可の方針を固めていた。 その正式な勅許(天皇の許可)を得る為、二月五日、老中堀田正…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その10

これを察した岩瀬は、 「ハリスさん、大阪を開港することは無理だが、神戸はどうでしょう」 当時、神戸はまだ葦が生息している寂れた漁村だった。しかしハリスは大阪に最も近い場所だったので、これを喜んで受け入れた。 因みに、横浜港は江戸に近すぎると街…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その9

交渉は自由貿易を中心とするハリスの作成した原案にもとづいて進められた。その交渉は、強引に迫るハリスと冷静に論破していく岩瀬との激しい攻防戦が続いた。 「岩瀬さん、現在、日本の開港地は下田、長崎、函館の三ケ所であるが、これから貿易の港は多いほ…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その8

条約交渉 安政五年一月二十日、海防掛目付岩瀬忠震(ただなり)は下田奉行井上清直と共に、度重なるハリスとの条約交渉のため、船で下田領事館に向かっていた。その途中、岩瀬は長崎の海軍伝習所を設立した当時の事を思い出していた。 設立時に海軍教育を協力…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その7

初代所長格の永井尚志の後を継いで安政三年に第二期生の総監として赴任した木村喜毅は、更に翌年五月には二十七歳で長崎海軍伝習所の取締に昇格している。目付も兼ねているが早い出世である。その際、創業当時から伝習所に携わっている勝麟太郎が、何かと相…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その6

長崎伝習所 木村が長崎に戻ったのは、それから十日ほどである。十一月に入って、ここ数日は晴天続きで長崎湾の波も穏やかだった。陽気が暖かく海風も気持ちが良かったので、少し出島の方に足を延ばした。門を潜ると、左側には花畑があり、白や黄の和蘭花が綺…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その5

「先日の十月二十一日にハリスが将軍家定公に謁見された事はお主も存じておろう」 木村は何も言わずうなずいた。 「その十日程あとに、今度は堀田様の屋敷に何人かの家老や家臣を集め、ハリスを招いてアメリカの真意を皆で聞くことになったのだ。勿論わしも…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その4

さらに岩瀬は言葉を続けた。 「ペルリが二度目に来航したときは軍艦九隻だったが、その時ペルリが言うには我々は五十隻で来たと言っておったらしい。そして、大砲を五十発以上撃って日本人を脅しおった。まあ、その時は叔父上様がペリーの恫喝に屈しもせず、…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その3

「ところで、木村殿。四か月ほど前に老中阿部正弘様が城内で急死されたことは、耳にされていると思うが」 「はい、訃報を聞いたときは、私も傷心いたしました。何やら胸の病と伺っておりますが、岩瀬様は詳細をご存じですか」 「わしも、葬儀に参列したのだ…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その2

「木村殿、半年ぶりですなあ。いかがかな、その後、海軍伝習所の様子は・・・」 「はい、岩瀬様が江戸に帰られた後、取締を命ぜられましたが、私は船や海軍の事が何もわからず大変でした。ましてや伝習所の教授は皆オランダ人ばかりで、言葉が解らなく、かな…

小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その1

開国 安政四年(一八五七年)秋。ようやく残暑も和らぎ、数日前まで一面にゆたかな稲穂が揺れていたが、今ではすっかり刈り獲られ、残された稲の切り株が行儀よく並んでいた。 長崎に赴任した木村喜毅(よしたけ)にとっては半年ぶりの江戸だった。老中堀田に長…