小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その48

 四月二十四日、一行は造幣局を訪れた。小栗は造幣局長のスノーデンと挨拶を交わすと、小栗は上目遣いで局長の顔をみて、早速、話を切り出した。

「ワシントンから既に連絡が入っていると思いますが、こちらでドル貨幣と日本の一分銀貨の分析実験を行なって欲しいのですが宜しいですかな」

「それには準備が必要です。すぐと云う訳にはいきませんので、暫くお待ちください」

「結構です。我々は今夜コンチネンタルホテルに泊まっております。実験の日時が決まれば、いつでも知らせに来てください」

造幣局の中を一通り見学すると、その日はホテルに帰った。

造幣局の一室でスノーデン局長は、部下のロバート・モリスとジェイス・ロングエーカーを呼んだ。

「モリス、日本人が貨幣の分析実験を見たいと言っているが、明日、彼らに付き合ってやれるか。多分、分析の方法を知りたいのだろう。忙しいのに悪いなあ」

「はい、わかりました。一、二時間で済むと思います」 

モリスは気軽に答えた。すると、隣にいたロングエーカーが

「ワシントンの役所から、その話は聞きましたが日本人の中にオグリという者がいて、かなりしつこい性格だから気をつけろと言っていました。まあ、たぶん、大丈夫でしょう。それでは準備しておきます」

 

 その夜七時過ぎてスノーデン局長がホテルに訪ねてきた。

「遅くなりましたが、準備が整いましたので、明日の朝八時に造幣局にお越し願いますか」

「勿論です。では明日改めて伺いますので、宜しくお願いします」

話が終ると少し肥満気味のスノーデン局長は額の汗をかるく拭いながら帰って行った。

 

 目付小栗忠順には、今回の渡米において批准書交換とは別にもうひとつの重要な任務を担っていたのだ。それは日本国内から大量の金が海外へ流出しており、その不平等な金貨交換を正すことだった。

その発端は、今回のアメリカ行きが決まった際、横浜滞在中だったブルック大尉にアメリカについて事前講義を受けていた時の事である。

「私はあなた方日本人がアメリカに渡って、色々な最先端の技術や文化などを学習し将来の日本のために役立てて頂きたいと思っています。私はその為のお手伝いをするつもりです。どうか一日も早く日本人が欧米と肩を並べられる国際人になって頂きたいのです。

 しかし、残念ながら、日本人が金の価値について正しい知識がないため、我らアメリカ軍人の中にも、ドルと小判のレートの差を利用して不当に金儲けに走る輩も少なくありません。これによって、日本国内から大量の金が海外へ流出していると聞いています。このことに私は随分心を痛めております。小栗殿、アメリカに行った際は、是非、この不平等な金貨交換を正して貰うよう交渉して下さい」

 

 小栗がこのことを老中に報告すると、実際、金の大量流出に悩んでいた幕府は直ぐに小栗に対し、アメリカとの金貨交渉を命じた。この頃、幕府は対策として、一枚当たりの品位は変わらないが、大きさと重量を三分の一にした小型の「万延小判」と「万延一分金」を発行して、当面の金の濫出を食い止めていたのだ。

 

ドルと小判のレート差による儲けのからくりとは、次の通りである。

ドル銀貨四枚  → 日本銀貨十二枚と交換 (ドル銀貨一枚=日本銀貨三枚) 日本で両替

日本銀貨十二枚 →  日本小判三枚と交換 (日本銀貨四枚=小判一枚)    日本で両替

日本小判三枚  → ドル銀貨十二枚と交換 (小判一枚=ドル銀貨四枚) 上海・香港で両替

 

 結果的に元手のドル銀貨四枚が両替を繰り返していくとドル銀貨十二枚となり、なんと両替するだけで元手の三倍になってしまうのだ。それにより、アメリカ軍人は差額で莫大な利益を得て、日本の小判(金)はどんどん海外へ流出してしまう最悪な事態となっていたのだ。

 

 この原因となったのは、日米和親条約により下田に駐在するようになった初代アメリカ領事タウンゼント・ハリスが、日米通貨交渉を本格的に開始し、幕府との間で「同種同量交換」が国際的な通例として強引に主張したことからだ。その結果、単純に重さだけでドル銀貨一個と一分銀貨三個と交換することを、含有率を知らない日本側の役人は認めてしまったのだ。実は、そのハリスもこの差額利益を利用して、かなりの額を両替し私財を増やしたと自身の日記に書いている。

 

 四月二十五日朝八時、一行は再び、造幣局を訪れた。いよいよ分析実験が始まった。早速、モリスは両国通貨の一部銀とドル銀貨の一部を削り取り、そこに用意してあった秤(はかり)にかけた。それを見て小栗からすぐ異議が出された。

「これくらいの小片で分析実験したのでは駄目であろう。一分銀一枚、ドル銀貨一枚をそれぞれ丸ごと分析すべきだ。そうでないと、正確な銀の含有率は出せないではないか」

「それには相当時間がかかりますが、宜しいですか」

「承知している。私は最後まで立ち会うから、きちんとやって頂きたい」

 そこで、小栗が持参した箱から取り出したのは象牙で装飾され、三十センチの長さにわたって精緻な目盛りが刻まれ、皿と錘(おもり)が付いている天秤ばかりだった。一方、アメリカ側はだいぶ使い古された鉄で造られており、あまり質の良いものではなかった。小栗の持参した秤で計ると一分の狂いもない精密さだった。

 アメリカ側は慌てた。日本人の目的が単に分析方法を知りたいのだろうと軽く考えていたが、小栗が要求したのは、それぞれの銀貨を丸ごと溶かし分析比較して欲しいというものだった。しかもアメリカ側は一分銀に比べてドル銀貨は銀の量がわずかしか入っていないことを承知していたからだ。

 分析実験は、熱い溶鉱炉の側で銀だけを抽出する作業に小栗たちが見守る中で行なわれた。長く飽き飽きする様な作業であったが、周囲の者は小栗の忍耐力に驚かされた。昼食も一旦 ホテルに帰り食べる予定だったが、弁当を取り寄せ、食べ終わるとすぐに分析を再開した。

 次に含有量を割り出す際、アメリカの技師モリスとロングエーカーたちが手計算で相当苦労している傍(かたわ)らで、小栗は従者にある物を出すように命じた。それは奇妙な形をしており木製の枠の中には、豆のようなひし形の玉がいくつも連なっていた。

それをみたスノーデン局長は不思議そうな顔をして、

「小栗さん、それはなんですか」 

「これは我々が普段、算術に使っているソロバンというものです」

スノーデン局長には、それがどういうものか全く理解できなかった。

 小栗はしばらくパチパチと小気味の良い音を出しながら算盤(そろばん)を弾いていたが、僅かな時間で計算を終えると、あとは煙草を吸ってアメリカ側が終るのを待っていた。やがて、双方の数字を照らし合わせ、答えが正確無比であることに、アメリカの技師たちは仰天したのだった。

 

 分析結果がでた。まず、品質比較分析の結果は、ドル銀貨と一分銀もほぼ同等だった。次に一分銀貨とドル銀貨の銀の含有率の比較結果だ。これには重大な問題が発覚した。一ドル銀貨が約二十四グラムに対し一分銀が約八.五グラムだが銀の含有率はほぼ同じであった。

つまり同じ価値なのに不純物が多いドル銀貨を単純に重さだけで一ドル銀貨=一分銀×三枚としてしまったのだ。これは明らかに同種同量交換の原則に反している事であった。

 

 それなのに、アメリカは今まで一分銀を三分の一のレートで交換してきたという事だ。この分析実験は完全に日本側の勝利だった。小栗は満足そうな笑みを見せた。

しかし、勘定奉行でもない小栗が出来る事はここまでだった。アメリカ側は理解したものの、自国の不利になる合意を容易にはしなかったからだ。この交換レートを日米間で是正するようになったのは、まだまだ先のことである。