まつもと物語 その24

   黒門復元

 

 その一カ月後は、松本市において大事なイベントが予定されていた。

昭和35年4月23日の土曜日、松本城の黒門の復元工事が文化財保護委員会の申請許可となり市川清作氏設計監修の元にようやく完成し、松本市民や来賓を招き完成披露式である「松本城黒門落成記念お城まつり」が行なわれる日だった。

松本城管理事務所と松本市役所・博物館が主催となって、式典の準備は行なわれた。もちろん田岡も準備委員として多忙の日々が続いた。

式典の次第、招待客のリスト、完成披露式のポスター配布、式場の飾りつけなど手落ちのない様、やるべき作業が沢山あった。

当日になると、幸いにも晴天に恵まれ、松本城はいつもながら華麗な姿でそびえ立っていた。朝早く会場に着いた田岡は、準備とチェックに追われていた。他の職員と紅白幕の取り付け作業を行なっていると、学芸員の福島がスーツ姿でやってきた。黒門の説明が彼の役割だった。

「おはよう、田岡さん、何か手伝う事ありそうですか?」

「あっ、福島さん、おはようございます。とりあえず主な作業は終わったので、特にないと思います。あとは、最終チェックだけです。福島さん、今日は案内役ご苦労様です。大勢の人が来ると思いますから大変ですよね」

「うん、忙しくなりそうだから、花岡さんにも手伝ってもらうつもりです。もう、そろそろ来る頃なんだけど」

すると、後ろの方から。「おはようございます」とウワサの妙子が小走りでやってきた。

「やあ、おはよう。あれ、花岡さん、今日の格好は決まっているね」

福島は、少しひやかすように言った。妙子もスーツ姿だが、首に巻いたスカーフがとてもおしゃれだった。

田岡も「ホント、す、素敵だね」と、以前はとても口に出来なかった言葉を、今日は口ごもりながらも何とか言えた。

 

 そろそろ、式典の時間が迫ってきた。司会は草間係長だった。草間はこういったイベントの司会は得意であったから、余裕の笑顔でマイクの前に立っていた。会場には、降旗市長や教育長・博物館館長のほかに市議会議員や民間の多額寄付者を担当係が案内し集まってきたので、田岡は、所定のパイプ椅子に案内した。

二の丸の広場には、すでに大勢の市民や観光客が集まっていた。腕に腕章をつけた新聞記者も何人かカメラを構えて待機している。近くの空でパン、パンと祝砲の花火が鳴った。

 

 いよいよ、式典の開始時間だ。司会の草間係長が、第一声をあげた。

「皆さま、大変お待たせ致しました。只今より松本市・市政五十周年記念事業と致しまして、松本城黒門復元工事の完成披露式典を開催致します。私、本日の司会進行を務めさせて頂きます松本市役所観光振興課の草間と申します。どうぞよろしく申し上げます。まず式典開催に先立ちまして、最初に松本城黒門等復元協賛会・会長でもあります降旗徳弥松本市長より皆様にご挨拶をさせて頂きます」

 降旗市長の挨拶から始まり、式典は次第に沿って順調に進行していった。松本城保存会の会長、松本市教育委員会会長、松本博物館館長など、揃って胸にバラのリボンを付け、お祝いの挨拶が続いた。

 次にテープカット、記念撮影が終わると、いよいよ説明役の福島の出番だ。事前に田岡が用意していたマイクを福島は手に取り、大勢の見学者を前に福島の声が明瞭な説明を響かせていた。妙子も多くの見学者に対し個別に質問の受け答えをしていた。

田岡が大勢の市民の列を誘導していると、後ろから聞き覚えのある声が掛かり振り向いた。

「あっ、清水先生、おはようございます」

「たくさんの人が来ているね。とても盛況そうでよかった」

「はい、ありがとうございます。先生も見学されますか?」

「いや、私は今度でいいよ。図書館へ行くついでに、ちょっと様子を見に来ただけだから。別の日にゆっくり見させてもらうよ」

「先生、例の手紙のことですが、面白いことがわかりました。帰りにまた博物館へ寄ってください。お昼ごろお待ちしています」

「本当かい? じゃあ、後でまた寄るから聞かせてくれ。じゃあ、がんばって」

 

 昼近くになってもお城祭りの催し物が続き、人出が減ることはなった。田岡は、別の職員に案内係を代わってもらい博物館へ戻ろうとすると、ちょうど清水先生もやってきた。

「先生、ちょっと中で話をしましょう。あの手紙、すごく興味深いですよ」

と言って、ロビーの隅にある長いすに案内した。

「先生、先日お会いした時もお話しましたが、例の古文書を東京の歴史学者の教授へ渡し調べてもらったのですが、どうやら、大久保長安の長男で大久保藤十郎という人から松本城主だった石川康長宛の手紙だったのです」

「やはり、そうだったか。それって、本物だったのかい?」

「はい、東京で筆跡鑑定してもらった結果、どうやら本物のようです。ですが、手紙の中身は隠し文といって密書のような物らしくて、結局内容はわからなかったみたいです。なにか暗号のようなもので、わざと第三者が見ても解読できない様にしたものらしいです」

「そうなのか、道理で読めなかったはずだな」

「ところが、その手紙に裏書きされた文章が機械で読み取ることができて、その文面を教授が手紙に書いて送って下さったんです。いまそれを福島さんが預かっているのですが‥。 先生、ちょっと待っていてください。僕も自分のノートに写してあるので、よかったら見てください」

と言って、自分のノートをカバンから取り出し、先生に広げて見せた。

『辰ニ林アリ林ニ水アリ ソノ釜狭ニ𣑊アリ 此レ越後様ノ預物ナリ』

「確かに、謎かけみたいな文面だね」

「それで、今、福島さんや花岡さんと、この謎の文面を解読中なんですが、どうやら、大久保長安から預けられた小判か黄金を康長がどこかに埋蔵したんじゃないかって、今度その場所と思われる林城跡にみんなで行ってみようという事になったんです。ね、先生、面白そうでしょ?」

「あはは、まるで宝探しだね。本当だったらすごいけど、そんな物が発見されたら、みんな腰を抜かすんじゃないか?」

清水先生は、にわかにその話を信じることができず、半ば夢物語のように聞いていた。

「うん、夢があっていいねえ。見つかったら私も是非その黄金を拝みたいものだ。ははっ」

そう言いながら、もう一度、ノートに書かれた文面をみた。

「しかし、これが本当にその古文書に裏書きされていたとすれば、何を意味するものか興味があるね。お宝はともかく、解読してみたいものだ。私もその解読チームの一員にしてもらえるかな。なんか少年探偵団 みたいだな。いや、私だけ老年探偵団か、あははっ」

「はい、是非お願いします。福島さんにも後で話しておきます」

 

 

     薄川沿い

 

 それから、一週間後の日曜の朝、皆は松本駅前に集合した。田岡、福島、妙子そして清水先生も同行することとなった。目指すは林城跡である。先導は学芸員として何度も行ったことのある福島だ。福島は車の免許を持っていたが、日曜日で半分私的な部分もあり職場の車を借りることはさすがに気が引けた。歴史的根拠があればよいが、今回だけはあくまで個人的な調査とし皆も同意した。清水先生は、「お宝探しのハイキング」と称していたが、実は初めていく林城跡の見学が目的である。

 四人は、駅から市電に乗り、あがたの地にある旧松本高等学校前で降り、ここから林城跡までは歩いていく事にした。

 

 大正八年に設立した、この旧制松本高等学校は、大きなヒマラヤ杉に囲まれたこの校舎は木造洋風建築物であるが、大正時代のロマンを感じさせる建物である。一時信大の文理学部として継承されたが、旭町に信大が移転されると、昭和二十五年に廃校となった。その後校舎は重要文化財となり現存している。

 

 薄川にでると、川沿いは桜の並木がほぼ満開であった。しばらく歩くと、南に千鹿頭山(ちかとうやま)が見える。この頂上には千鹿頭神社というお宮があり、七年に一度御柱祭が行なわれる。有名な諏訪の御柱祭は坂落としで知られているが、ここの千鹿頭では頂上のお宮を目指し、西の神田と東の林地区の両方から二本ずつの御柱を大勢の人々が急な坂道を太い綱で引き上げる。そしてお宮の周りに四本の御柱を建てる祭事だ。 以前は里引きの途中、道路脇にテーブルが置かれ振る舞い酒を誰でも自由に飲めた。

 

 皆は薄川の上流に向かって桜の下を歩くと実に気持ちが良かった。皆、背負いのカバンに水筒とおにぎりを入れ、ハイキングというより遠足のようであった。

「ねえ、田岡さん、なにか小学校の遠足を思い出さない? たしか、あそこの千鹿頭山へも行ったよね」

妙子は、突然、思い出したように田岡に話しかけた。

「うん、行ったね。ずいぶん田んぼの横のじゃり道を歩いた記憶がある。急な山道を歩いて登ると展望台があって見晴らしがよかった事を覚えているよ。そこでみんなとおにぎり食べたよね。なんか懐かしいな」

 田岡も小学校の頃の思い出がよみがえってきた。

「あのさ、二年生のころ、ふたりでお城のまわりを歩いて源池の井戸へ行ったことって覚えてる?」

妙子は、ちょっと首をかしげて考え込んだが、ふっと笑顔をみせて、

「ええ、覚えてるわ。でも源池の井戸じゃなくて、北門大井戸だったよ」

「ええ~。源池の井戸じゃなかったかな。そこで、僕がポケットからキャラメル出して二人で食べたんだよ」

「違うったら、北門大井戸で、オレンジの丸いガムを食べたんだよ。私の記憶の方が絶対、確かなんだから!」

「そうだっけ? ずっと源池の井戸でキャラメル食べったって思っていた」

「もう~、安夫ちゃんたらあ。しっかりして!」

 少し前を福島と歩いていた清水先生が、振り返って、

「なんか、おふたりさん、楽しそうだね。二人とも小学校の同級生って言ってたよね。なんかいいね。いやあ結構、結構!」

と、少し羨ましそうに、ふたりをひやかした。

 

 薄川の周辺は建物が疎らな一面の田園である。しばらく歩くと、こんもりと木が生い茂っている小高い山のふもとに着いた。

「あの橋が金華橋ですね。やっと林城の登り口まで来ました。桜が奇麗だからちょっと休憩しませんか?」

「そうだな、少し喉も乾いたから、この辺で休もう」

清水先生がそう言うと、桜の並木が見える薄川の土手に皆は腰を下ろした。福島も一息つくと、 

「ここの桜も毎年きれいに見えますよ。先生、実は僕の実家はこの近くなんです。山辺中のあたりなんですが、子供の頃、この辺でもよく遊んでました」

「そうかね。じゃあ、この辺は自分の庭みたいなもんじゃないか」

「先生、戦時中アメリカ軍の爆撃機B29が飛んできて、この辺に爆弾が落ちたって知ってます?」

「ああ、落ちたのは知っていたが、この辺りだったんだね。じゃあ、こんな実家の近くに落ちてびっくりしただろう?」

「そうなんです。逃げると言っても防空壕もないし、家族みんなで居間の隅で布団被って震えてました。凄い地響きだったのを覚えています。とにかく怖かったんですが、誰も怪我人がでなくて良かったです」

 

 昭和二十年三月二日、アメリカ軍の爆撃機松本市にも飛来した。金華橋を中心に薄川の下流500mの所に三発、北に一発の爆弾が投下された。幸い死傷者は出なかったが、山辺小学校の窓ガラス約五百枚が爆風で割れ、爆弾の破片で近くの墓石がえぐられた。戦争末期、空襲を逃れて軍需工場が次々と松本に疎開してきた為、それを狙った爆撃だった。この林地区の地下にも軍需工場がつくられたが、結局完成することはなかった。

 また、この里山辺地下工場をはじめ、長野県には多くの強制労働者が朝鮮・中国から連れてこられたという。特に中国人は捕虜として扱われ、地下トンネルを造るため過酷な労働を強いられたようだ。

 

「話によると、この林城の周りの集落にも地下工場が張り巡らされていたようです。まったく、松本にこんな黒歴史があるなんて情けないですよ。戦争なんて二度と起こして欲しくない」

「福島さんは、兵隊の赤紙っていうのは来なかったんですか?」と田岡が尋ねた。

「僕はその頃、信大の学生だったから。でも戦争末期は学徒出陣といって、学生も対象になったんだ。もう少し、戦争が長引けば僕にも召集令状が来たと思う」

「それにしても、もうちょっと爆弾がずれていたら、大事な林城跡が壊されていたかもしれないね」

「そうなんですよ。ホント危なかったです。ところで先生、話は変わりますが、この近くに昔、徳川家康の先祖が放浪の旅をしていて、藤助という人が助けたって伝説があるのは、ご存じですか?」

「いや、知らないねえ。初めて聞く話だ」

「僕も郷土を調べていて、初めて知ったのですが、家康の先祖で松平有親父子が諸国放浪の旅をしていて、この林城を造った小笠原清宗の次男・林藤助を頼りこの地に来たそうです。その日は雪の降りしきる寒い日で寒さと飢えで絶望的だった親子が、やっと藤助の家にたどり着いたのですが、藤助は何ももてなす物がなかったそうです。そこで雪の中、藤助はようやく一羽の野兎をとらえ、それを馳走したところ父子は甚く感動したということです。

その後、家康が幕府を開くにあたり、『我が家運が開けたのは、かの兎のお陰』と毎年正月に兎のお吸い物を頂く吉例となったそうです。その名残りでこの先に小笠原氏の菩提寺・広沢寺という寺があるんですが、その南に兎田という史跡があるのです」

「へえ、こんな場所にも、徳川家康にまつわる伝説が残っているんだね」

「そうなんです。松本の郷土歴史を色々調べていると、時々こういった逸話に出会うので結構面白いです」

 田岡も福島の話を聞いて合点がいった様子をみせた。

「そう言えば、徳川家康の小説の中にも何度か兎の話が出てきたのを覚えてますが、そういった経緯があったのですね」

「じゃあ、そろそろ、城跡を見に行こうじゃないか。福島君、先導よろしく!」

「わかりました。ちょっと上り坂が急で、道幅も狭いので気を付けて歩いて下さい」

 

               松本市 薄川沿いの桜並木