小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~  その8

条約交渉

   

安政五年一月二十日、海防掛目付岩瀬忠震(ただなり)は下田奉行井上清直と共に、度重なるハリスとの条約交渉のため、船で下田領事館に向かっていた。その途中、岩瀬は長崎の海軍伝習所を設立した当時の事を思い出していた。 

設立時に海軍教育を協力してくれたのが、スンビン号(観光丸)艦長ヘルハルドゥス・ファビウスだった。

ファビウスは、アメリカ黒船来航後の日本の状況を収拾するためにオランダ東インド艦隊の軍艦スンビン号の艦長として日本に派遣されたのだった。長崎に来航すると、江戸幕府に対して西洋式海軍の創設を提言し、日本軍艦を備えもっと防衛力を強化するべきと説いた。

そして長崎にいた幕府役人や佐賀藩士ら二百名に海軍技術の伝習を始めたのだ。更に操船してきたスンビン号(観光丸)を練習艦として江戸幕府へ贈呈したのだった。

岩瀬は、この時にファビウス艦長から非常に貴重な助言をもらっている。 

二人が長崎の料亭で夕餉(ゆうげ)を採りながら、話をした時のことだった。

ファビウス艦長、あなたのお陰で伝習所もやっと軌道に載りました。生徒たちも皆、熱心に勉強しており、船の扱いも少しずつ上達しております。本当にありがとうございます。」                                                                                  「岩瀬さん。これからの日本は開国してもっと貿易しないと駄目ですよ。日本はまだまだ世界と比べると未熟です。早く文明国になるべきです。それに私はキリスト教徒ではありませんが、踏み絵のような屈辱的な慣習も、やめるべきです」                                                   

「私も、あの幕府の非道な行為は断じて許せないと思っています」

ちなみに安政三年には長崎・下田では踏み絵が廃止となったが、その後も信徒弾圧は続けられていた。

ファビウス艦長、貿易で最も各国が望んでいるのは、やはり銅の輸出でしょうか」                                                              「そうですねえ、それは比較的産出量が多いから、そう思えるのかもしれませんね。しかし、これからは、鉱物資源に頼るのではなくて、生糸、麻、樟脳を生産すれば、いい輸出品になりますよ。お茶なんかも、欧州ではとても人気ですね。貿易というのは距離じゃない。企業精神の問題です。オランダ国王は、自国の利益よりも日本のより良い今後を考えて、鎖国を続けるよりも、様々な国と貿易すべきだと勧告しているのです」

ファビウスの親切な言葉に、岩瀬は感銘を受けた。それと共に貿易の利益が幕府の財政を立て直し、国を豊かにするという可能性に心が躍ったのである。

「岩瀬さん、外国と条約を結ぶことに警戒心はあるでしょう。しかしまず、結んでしまいましょう。細かい条件は、あとで修正していけばよいのです。うるさく言わないで、ともかく受け入れる。これが大事です。寛大さこそが、身を守るのです。日本は長らく戦争の機会がなく、しかも四方が海に囲まれていますから、一旦戦争になったら大変なことになります。イギリスが清国にしたことを他人事と思わず、もう一度日本のこれからを考えてはみませんか。」 

この時、岩瀬の気持ちの中では、何としてでも早急に開国することが必要だと確信したのだった。

 

岩瀬と井上を乗せた船はまもなく下田港に着いた。港から下田領事館はすぐ目の前にある。既にハリスとの交渉は年をまたいで約二か月以上行われている。その数は、十五回に及んでいた。  

昨年の十一月以来、老中堀田に交渉の全権を委ねられ、岩瀬は下田奉行井上清直と共に ハリスと日米修好通商条約の交渉を進めていた。井上清直は開国論者で老練な実務家であり二人のうちでは先輩の井上が上席だったが、対米交渉の主導的役割は、当然外交官である岩瀬が担った。

   下田領事館 (瑞龍山玉泉寺)