小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その19

アメリカの軍艦ミシシッピー号から下田の領事館に恐るべき情報が入ってきた。英仏がアロー号事件をきっかけに清国に戦争を仕掛け、圧倒的な武力で広東や天津を占領したという話である。これに圧勝した英仏艦隊が、清国に続いて日本にも侵略を開始するため、近々迫ってくるだろうという内容だった。要するに完全に英仏が中国侵略をしたのだった。

ハリスは急いで下田奉行の井上を呼び寄せた。

「井上さん、大変なことが起きました。イギリスとフランスの連合艦隊が清国を占領し、その後日本に向かってくるとの事です。このままですと、日本も清国と同じように侵略されるかもしれません。彼らの軍事力は強力です。いまの日本の防衛力では、とても太刀打ちできません。このことを大至急、堀田様にお伝えください」

井上も事の重大さを知ると、

「わかりました。直ちに江戸に向かい報告します」

と言って井上は急いで領事館を後にした。その翌日、ハリスの元にアメリカ軍艦ポーハタン号やロシアのプチャーチンからも同じ情報を知らせに来た。ハリスは「これは、私にとっても、日本にとっても最後のチャンスかもしれない」と呟(つぶや)いた。

 

翌日の六月十七日、ハリスは下田を離れポーハタン号に乗り、神奈川小柴(横浜)まで出て来ていた。そして、改めて岩瀬と井上に会えるよう老中堀田に連絡をとった。その日の深夜、岩瀬と井上は急ぎポーハタン号に乗り込んだ。二人の行動は極めて迅速だった。二人が船内に入ると、ハリスもすぐさま話を始めた。

「岩瀬さん、状況は聞かれたと思うが、事は深刻です。日本はとても危険な状態です。早急に手を打たなければ、清国と同様イギリスとフランスが勢いに乗じて日本を侵略すると思われます。今、この連合艦隊は数十隻で日本に向う準備をしています。五日以内には日本に来航するでしょう。就いては、一刻も早く先日の条文を正式に結ぶ事が肝要だと思います。もし条約を締結してもらえれば、我々アメリカは友好国として仲介し日本をイギリスとフランスから守ることができます。どうでしょう岩瀬さん、私を信用してもらえませんか」

ハリスは切迫した顔で岩瀬と井上の顔を見た。岩瀬はうなずきながら、

「ハリスさん、わかりました。そこで、ひとつお願いがあります。この日米条約を調印すれば英仏が何を言おうとアメリカが間に入り調停して頂く事を誓約書にしてほしいのです」

六月十八日、江戸城に戻った岩瀬と井上は老中堀田に会い、昨夜ポーハタン号でハリスと交わした内容を具に報告した。堀田は早々に重要評議をする旨、重臣江戸城に集めることを命じた。岩瀬が家臣に老中への召集連絡を指示していると、後ろから

「岩瀬様、岩瀬様ではございませんか」

と呼びかける声がした。振り向くと、そこには長崎海軍伝習所取締の木村喜毅の姿があった。家臣が急いで評議召集のため去って行くのを見送ると、

「これは、木村殿、久しぶりです」

昨年の秋に岩瀬の屋敷で酒を酌み交わした以来だった。

「本日は、伝習所の状況を永井尚志様に報告しに参ったのですが、城内が慌ただしい様子ですね。先ほど永井様から伺いました処、イギリス艦隊が怪しい動きをしているとの事ですが」

「そうなのだ。わしもその件でいま奔走しているところだ」

「ところで、木村殿、長崎から江戸まではどの様にして来られたのだ」

「練習航海も兼ねて、三日前に咸臨丸で長崎から参りました」

「何、咸臨丸で・・・。それで、その咸臨丸はいま、どこに碇泊しているのだ」

「品川沖ですが、何か問題でもございますか」 

不思議そうに木村は答えた。

「いや、そうではない。実は木村殿に折り入って相談があるのだが」 

岩瀬は周りを気にしながら、声を落として何やら木村に話を始めた。