小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その45

 三月二十七日、この日は群集を避け密かに出掛けた。通訳の名村五八郎は常に新見と村垣の後に付いていた。彼らが乗った馬車はアメリ国務長官ルイス・カス邸に着いた。新見たち一行はカス長官に面会すると早速、咸臨丸の修理をして頂いた事に対し謝意を述べた。カス長官は笑顔で

「あなた方使節団がアメリカにお越し頂いた事は、大統領はじめアメリカ国民はたいへん喜ばしい事と感謝しております。明日は皆さまをホワイトハウスにご案内し大統領に謁見して頂きますが宜しいでしょうか。もし、あなた方がほかにも色々な場所の見学をご希望なさる様でしたら、喜んでご案内致します。」

親切な応対であった。明日はいよいよ大統領にお逢いすると聞いて、

「我々の国では、このような儀式の場合、前打合せを念入りに行いますが、どのような式となりましょや」

と尋ねたが、特に決まった儀式はなく、日本人の礼儀でよろしいのではとの返事だった。

ルイス・カス長官は七十歳くらいの老紳士で、身長が高く温和な人柄だった。話が一通り終わると、また何人かの高官が婦人を伴って挨拶し握手を求めてきた。

 

 翌二十八日、一行はホテルから東南二キロメートル程ある白堊館(ホワイトハウス)に向かった。新見、村垣、小栗、部下の順番で馬車を進めた。この行列に対し、アメリカ側は先頭に歩兵一隊、楽隊、騎兵隊が付き、列の両側には軍隊が堵列し、街々には消防車が出(い)で、非常時を警戒していた。この行列を数千人の老若男女の見物人が見守った。日の丸の旗を振って歓迎するアメリカ市民も多かった。

 大統領官邸の前には円形の広い庭園を造り、周囲には鉄柵が設けられ、建物の左右に出入口があった。中でも正面に聳(そび)え立つ六本の太い柱は威厳があり圧巻であった。

 説明によると、この建物は1800年に一度完成したが、1812年米英戦争でイギリス軍により焼き討ちにあった。その後、焼け残った石積みの外壁を使って再建し1817年にほぼ元通りに完成した。その際、焼け焦げた外壁を白く塗装したことから、この建物をホワイトハウスと呼ぶようになったそうだ。

 

 一行がホワイトハウスの建物に入ると、床に藍色の絨毯が敷詰められた広間には数十人の官人とその婦人、一部の民間人などで人が充満していた。

 

その日の使節団の服装は、

新見正使   狩衣(紫色)   烏帽子(萌黄色)   鞘巻太刀

村垣副使   狩衣(緑色)   烏帽子(萌黄色)   毛抜形太刀

小栗監察   狩衣(緑色)   烏帽子(萌黄色)   鞘巻太刀

狩衣とは正式な儀式に装う正装で、平安時代は公家の普段着でもあった。現代では神社の神主など神職の常装として用いているが、どことなく厳かな様相である。

 皆お供を連れており、正・副使及び目付にそれぞれ従士三人、鎗一筋、侍三人を従え、その他の者も布衣、仮布衣、素袍(すおう)、熨斗目(のしめ)麻裃など儀式用の衣装を身につけていた。

 日本の正装で現れた彼らは、常に物静かで威厳があり、驚きや賞賛といったものを言葉にも表情にも出さない。この礼節に満ちた振舞いは、アメリカ人に大きな興味と好感を与えた。 

 

 やがて、三使は謁見の間に案内された。ここでは、実際大統領に謁見できたのは三使と通訳の五名しか許されなかった。部屋に入ると、正面にブキャナン大統領、その右側にはカス国務長官、左側には財務長官が立っており、三使は横に並んだ。そのまま、二、三歩進むとまず一礼し、さらに大統領に面前まで進んで一礼した。周囲には高官と貴婦人たちが華麗な礼服に着飾って居並んでいた。

 しかし、アメリカ側は大統領といえども服装は側近の高官人と同じ平服だった。ブキャナン大統領は、歳は六十八、肥満ぎみだが、背丈高く、色白で少し白髪。容姿はいかにも温和な感じで、威厳はあったが、決して威張ったりする態度ではなかった。

 新見正使は国書奉呈を取り出して御諚(将軍の命令書)の趣を声高らかに読み、大統領に直接手渡した。新見の落ち着き払った態度と精悍な顔立ちは日本の武士を代表する者として、全く引けを取らなかった。むしろ多くのアメリカ人の中には彼を高貴な皇族と勘違いする程、その姿は凛々しかった。

 名村五八郎が通訳した後、村垣副使も紅の紐が付いた黒漆の書箱を国務長官のレウス・カスに渡した。カスは七十以上の歳を感じさせることなく、さすがに事務官らしい威厳があった。

 改めて大統領の前に出ると、大統領は新見の手をとり笑顔をみせた。そして、

「日本が国を閉ざしてから初めて国交が開け、ここに使節が来られたことは、大統領は固より国民の喜びはこのうえない。全てのアメリカ市民が歓迎しており、国書を賜わり、殊更に感謝している」

という意を述べた。皆が拍手し日本鎖国以来、日本とアメリカが初めて和親を結ぶ記念すべき瞬間だった。五、六人の高官が握手を求め挨拶した後、村垣らは大統領に一礼して退席した。

 

 その夜、カス長官の邸宅で祝宴を終え、村垣はホテルに帰って平服に着替えると、一息ついた。

「新見様、アメリカの大統領というのは国王でありながら、周りの者と同じ服装でしたな。特に礼儀などもなく、我々も狩衣や烏帽子など無益のことに思えましたが、必要なかったのでしょうか」

「いや、そんなことは断じてあるまい。あの儀式用の設えを以って謁見すればこそ我々の威厳が表顕できたというものだ。お主は彼らの眼を見なかったか。いかにも称賛していたではないか」

「はあ、確かに、そのようでしたな。実は私も大統領に謁見でき我ながら誇らしく思っております」

村垣は、自分たちに伴ってきた世話役の軍人ポーターに尋ねた。

「ポーターさん、ところで、あの大統領はどの様にして選ばれた方なのですか」

すると、得意げに説明がされた。

「大統領というのはアメリカ国の総督ですが、四年毎に国中の選挙によって決めているのです。したがって、今年の十月の選挙次第でまた、別の人になるでしょう。大統領といっても政治力さえあれば、家柄や職業など関係なく、誰でもなれる可能性はあります。ただし、大勢の国民の支持がないとなれません」

との事だった。

 村垣は二年前(安政五年)の新将軍家茂就任の際、大老井伊の南紀派と一橋との家督争いを思い出した。アメリカは次期大統領を選挙で決めるというが、血筋家柄による将軍継承とは全く異なり、日本において幕府官僚だけでなく一般庶民の町人や農民も含め大勢の人が入札して将軍を決めるなどと、微塵も想像がつかなかった。

 

 ジェームズ・ブキャナンはもともと弁護士で、ペンシルベニア州選出である。国務長官を経験したのち第十五代大統領となったが、婚約者の自殺が原因で結婚をしなかった唯一大統領である。この時代、北部と南部の間で奴隷問題があり、平和維持に努力はするが、その統率力がなく次第に支持も失墜していき歴史家の格付けでは決まって最悪の大統領の一人と位置づけされている。そして、この年の熾烈な選挙戦の結果、エイブラハム・リンカーンが第十六代大統領に選ばれる事となるのである。

使節団を迎えるブキャナン大統領

ブキャナン第15代大統領