小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その31

 福沢諭吉は後の慶應義塾創立者である。天保五年(一八三四年)大阪の中津藩蔵屋敷で下級藩士の福沢百助の次男として生まれたが、二歳の時に死別。安政元年、長崎に蘭学修業後、緒方洪庵塾に入門。安政四年、藩命で築地鉄砲洲にある江戸中津藩屋敷に住み蘭学塾を開いた。これが後の慶応義塾に展開する事となるのだった。

 当時の日本では、オランダだけが鎖国の唯一例外の国であった為、オランダ語を学んだが、世界に通用するのは英語であることを痛感し、蘭学から英学に転じていったのだ。そんな時福沢は、日本が渡米する計画があることを知ると、自分もアメリカへ行きたいと切望するようになった。

海軍操練所に伝手のない福沢は、当時出入りしていた将軍家代々の奥医者桂川国興に相談した。

 桂川の妻が軍艦奉行木村摂津守の姉久邇(くに)であったからである。こうして、桂川の紹介で福沢は木村に面会すると、アメリカに渡り勉強したい気持ちを得々と話した。これを聞いた木村は思った。こんな時、今は亡き老中阿部様だったらどう考えるのだろうか、きっと将来の日本を背負っていくのは、こういう若者だろう、この様な若者を人材育成しないでどうするのかと。

 そこで、木村摂津守は福沢を自分の従者として乗船する事を許したのだ。そして、航海中は、福沢は船に酔うこともなく、体調の悪い木村を介抱し飲食や衣服のことなど身のまわりの世話を小まめにしたのだった。福沢の献身的な行為は木村と主従関係をも超える間柄となった。

 こうして、木村はその数年後大成する福沢諭吉の人生の契機を開いたのだ。日本に帰国してからも二人は生涯にわたり深い親交を結ぶのであった。

 

 二十三日の夜になって、あれほど吹きすさんでいた風がやみ、月が出た。だが乗組員はベッドに寝たままだった。そして、二十四日午後になると波も穏やかになり、乗組員たちも少しずつ精気を取り戻し、仕事に就きだした。二十七日になってまた天候が急変した。風波が激しくなり、甲板が一面水浸しとなった。水夫も甲板にでたものの皆、端のほうで固まっていた。船内でも相変わらず火鉢を囲んでお茶ばかり飲んでいた。

 ブルック大尉が唯一、感心した人物がいた。それは測量術に関する能力がひときわ高く、数学を得意とした小野友五郎だった。小野は天文方出役として勝と共に長崎海軍伝習の第一期生として最年長(四十四歳)で周囲からも信頼が厚く、有能であった。咸臨丸においても、緯度や経度を正確に測り、自船の位置を的確に捉えていた。この太平洋横断は予想以上の困難な航海であったが、小野の奮闘ぶりは実に目覚ましいものがあり、ブルック大尉も大いに賞賛した。

 もう一人、ブルック大尉を大いに助けた者がいる。通弁役の中浜万次郎である。彼自身は元々土佐の漁師だった。十四歳の頃、仲間と漁に出かけた時に暴風雨に遭って漂流し無人島に漂着。そしてアメリカの捕鯨船に助けられた。船長は万次郎の聡明さを見抜き、そのままアメリカの学校に入れ、教育を受けさせた。英語の他に測量、航海術、造船などを学びアメリカの捕鯨船の副船長にもなった経歴もある。

 その後、万次郎は十年ぶりに帰郷した。当時、日本では外国から戻ると死罪だったが、海外の事情に詳しかったので、幕府の命により幕臣となった。そして今回、咸臨丸の通弁役として乗組員に加わったのであった。

その万次郎は、ブルック大尉の航海上の指示を的確に日本人乗務員伝えるのが役目だった。英語も出来、航海術も得ている万次郎は咸臨丸に於いて欠かすことの出来ない存在になった。

 

 船は相変わらず艦長室で寝込んでいる勝を上下左右に弄んでいる。徐々に勝の我慢が限度に達したころである。勝はよろよろと立ち上がり、木村の部屋に向かった。頭は高熱で朦朧とし、目は虚ろになっている。

「木村さん、おいら、もう江戸に戻りてえ。すまねえが、端船(ボート)を出してもらえんか」

「勝さん、馬鹿なことを言わないでください。ここをどこだと思っているのですか。太平洋の真ん中ですよ」

「そんなこたあ、わかっている。だが、どうにもこうにも、このままだと、おいら気が狂いそうだ。頼むから江戸に帰してくれ」

子供の様にわがままを言って木村を困らせた。

ようやく、宥めながら、勝を部屋まで送り返すと、それに伴っていた福沢が呆れた顔で

「木村様、あの勝艦長は一体どういうつもりでしょうか。艦長なのに一度も操舵室に行かず部屋で寝てばかりです。それにあのわがままぶりは、まったく許せない言動ではないでしょうか」

「まあ、福沢、そう言うな。病人だから仕方あるまい。あれでも、本心は誰よりもアメリカ行きを望んでいるのだ。この咸臨丸で行けるようになったのは勝さんのお陰でもあるからなあ」

とは言うものの、木村も実は早くこの地獄のような船酔いから逃れたい気持ちでいっぱいであった。

       福沢諭吉       中浜万次郎(ジョン万次郎)