小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その41

 三月十八日、いよいよ、アメリカの地を離れる日が明日に迫った。新見率いる使節団一行は昨日すでに出港したばかりである。木村は昨日、それを見送ったが、実は自分も使節団のひとりとしてワシントン行きを切望していたのであった。父喜彦に家宝の品々を売り捌き渡米の費用として用意してもらった三千両も殆ど使い果たし、父も望んでいたアメリカ大統領に謁見し批准書を取り交わす使節団の一員として、その渡米目的を自分は途中で引き返す結果となってしまった。

 これは当然予測できた事とは言え、何か父上に後ろめたさを感じる木村だった。ただ、自分が行なってきたことが将来の日本とアメリカの絆づくりになったと自負して信じるしかなかった。

 

 勝麟太郎は帰航に必要な燃料の薪、水、食料などの積荷の最終確認を今やっと終えたところである。爽やかな海風が吹く波止場で一息ついていると、木村が中浜と福沢を伴いやって来た。

「やあ、勝さん、ご苦労様。出航の準備は整いましたか。我々も今、市庁舎に行って最後の挨拶を済ませてきました。市長や幹部の方が明日見送りに来て頂けるとの事です。勝さん、いよいよ明日は帰国ですね」

 波止場には、出航前日にも拘わらず、大勢のサンフランシスコ市民が咸臨丸と日本人を見送りに来ていた。

 その内の何人かの婦人が近寄ってきた。ひとりのとても肥えた婦人が勝を見ると別れを惜しむかの様に急にハグをしてきたのだ。それが余りに唐突だったので、勝はびっくりして思わず後退りした。運悪く足元に置いてあった小さな樽に足をとられ尻餅をついてしまったのだ。

「か、勝さん、大丈夫ですか」

側にいた福沢が慌てて、勝の手を引き上げた。婦人はハンカチで顔を覆い申し訳なさそうに詫びた。

「大丈夫だ。おい福沢、今日の暦本においら、女難の気あり、とか書いてなかったか」

勝は照れくさそうに冗談を言った。

「いや、書いてないと思います。しかし女子(おなご)には大変好かれると書いてあったかも知れません」

福沢も笑いながら答えた。

「いやあ、雷電(らいでん)が襲ってきたかと思ったよ。おいら、日本に連れて帰って勝負させてみてえよ」

 雷電とは、その頃、江戸で大人気の力士の事である。28回場所も優勝して大相撲史上未曾有の最強力士と云われた。

「勝さん、女性にそんな失礼な事を言うとバチが当たりますよ。この国はレディファーストですから」

 すると、勝の後でけたたましく吠える声に驚いて、今度はまともにひっくり返った。一緒にいた女性が抱いていた子犬が勝に向かって急に吠え始めたのだ。勝は身体を縮ませて信じられない程ひどく怯えていた。女性の方もびっくりして謝ると、犬を叱りながらその場から逃げるように去って行った。

 犬の声が聴こえなくなると、勝はようやくまわりを気にしながら、そっと顔をあげた。福沢がもう一度手を差し延べたが、勝はその手を払いのけ、

「おいら、もうアメリカは嫌いだ。早いとこ船に乗って日本に帰ろう」

と半べそをかくように、咸臨丸に戻って行った。

「勝さんが、あれ程犬が苦手とは意外です。木村様はご存じでしたか」

「いや、わたしも知りませんでした。そういえば確かに長崎でも犬をとても嫌っていましたね」

 勝麟太郎がまだ九歳の頃の話である。学習塾の帰り道、突然野良犬が麟太郎に襲いかかり袴の中に頭を突っ込むと陰嚢を噛みきり睾丸が露出するほどの裂傷を負った。通りがかった者が自宅に連れ帰り、医者を呼んで傷を縫合させたが「これは助かるまい」と匙を投げた程だ。その後、高熱が続き回復するまで二か月半掛かったという。それ以来勝は大の犬嫌いになったのだ。因みにこの時、父の小吉(こきち)は、高熱で苦しんでいる麟太郎に向かって「しっかりしろ、麟太郎。ここで死んだら犬死だ」と言ったとか言わないとか・・・

 勝小吉は、生涯無役の不良旗本で、喧嘩や吉原通いばかりしていた。麟太郎が生まれた時は、なんと座敷牢に入れられ、初めて顔を見た時は三歳だった。しかし子煩悩で麟太郎を心配するあまり、小吉は金毘羅へ願掛けや、毎晩水垢離(みずごり)して回復を祈ったそうである。そして、始終小吉は麟太郎を抱いて眠り、他の者に手を出させなかったと云う。麟太郎の破天荒さは父の小吉ゆずりである。

 

 三月十九日、目に沁みるような真っ青な太平洋の中に、いま咸臨丸は滑りだしていた。波止場には市長はじめ多くのサンフランシスコ市民が別れを惜しむように手を振って送り出してくれた。

 木村や勝たちは、陸地に向かい、富蔵とその後を追うように亡くなった岡田や峰吉を偲び、手を合わせた。結局三人が日本に帰れない人となったのだ。水夫の平田富蔵(享年三十三歳)、岡田源之助(享年二十五歳)そして火焚(ひたき)の峰吉だった。ブルック大尉の尽力で、この三人の墓標は現代でも残っており、サンフランシスコのローレルヒルの墓地に埋葬されている。

 

 帰りの航路はブルック大尉の立てた計画に基づきハワイ経由となった。今回、濡れた布団はすべて処分し代わりに新しい毛布を乗組員全員に配った。更に水に弱い草鞋をやめ、ブーツに履き替えるようこれを支給した。水夫たちも最初は抵抗したが、慣れると皆このブーツを相当気に入った様子である。

 

 船はカリフォルニア海流に乗って、常に西に流れるようにスムーズにハワイへ向かった。毎日がうそのように海は穏やかで晴天続きだった。

良く晴れた日、皆、甲板で心地よい風に身体を癒していた。そこには、木村、勝、福沢、万次郎、佐々倉らがいた。

 

「おい、福沢。その妙な傘はなんだ」

と勝は聞いた。すると福沢は自慢げに

「これはアンブレラといってアメリカ人が使うものです。木村様のお土産として雑貨店で買いました」

「ばか言え、そんなものを差して街中を歩けば、すぐ攘夷派の者に斬られるぞ」

「では、家の中で楽しむしかないか」

木村は残念そうに言った。

すると、勝は佐々倉に向かって

「では、佐々倉、お前それを木村さんから譲ってもらえばどうだ」

「私がそれを貰ってどうしろと言うのですか」

佐々倉は不思議そうに聞いた。すると勝は

「お前、以前に家の雨漏りがひどいと嘆いていたではないか」

「そうか、雨漏りした時に家の中で差せばいいか なるほど。 ってそんなバカな!」

 

 皆が大声で笑った後、木村が海を見ながら呟いた。

アメリカの人たちは、どうして日本人にあれほど親切にしてくれたのでしょうね」

 いくらアメリカ大統領の命令だからといっても、ひとりひとりが皆親切にしてくれた。それは決して義務でもなければ報酬を得るわけではない。自らが率先し、当たり前のように困っている人に救いの手を差し伸べている。そこには男女や人種の区別、そして何より家柄や職業の差別がまったくないのだ。そこにあるのは、人間としての『善』と束縛されない自由な言動である。一個人の人間を尊重している。それが自由と平等の国アメリカなのだろうか。木村の問いかけに、皆の頭の中は色々な考えが廻った。

 

雷電 爲右エ門