小説 万延1860 ~海を渡ったサムライたち~ その29

 安政七年一月五日、出帆の日が近づいているというのに、勝は自宅で高熱をだして床に入っていた。年明け早々風邪をこじらせてしまったのだ。お民が部屋に入り「木村様が見舞いに来た」と伝えると、勝は死んだように寝ている。少し薄目をあけて、そうかいと言ったが、またすぐに目を閉じてそのまま寝てしまった。木村は、お民から勝の具合を聞くと「お大事に」と心配そうに言ってそのまま帰っていった。

翌日、少し熱が下がると、お粥だけはなんとか食べる事ができた。

「お民、駕籠を呼んでくれ」

と出掛ける身支度をしながら言った。お民が心配そうに

「そのお身体でどこに参るのですか」

「ああ、ちょっと築地まで出かけてくる」

勝は駕籠が来る間、また横になってしまった。

 小雪がちらつく中、駕籠は岩瀬忠震の屋敷に着くと、駕籠かきも心配そうに言った。

「旦那、着きましたぜ。少し顔が赤いですが大丈夫ですかい」

「ああ、用事を済ませたら、すぐ帰るから悪いけれど勝手口で茶でも飲みながら待っていてくれ」

 岩瀬との出会いは長崎で伝習所開設の時が最初で、今日会うのは、昨年の八月以来だった。

 岩瀬は昨年の九月、井伊直弼の下命によりフランスと修好条約調印後、それを最後に作事奉行も御役御免となり更に蟄居(ちっきょ)を命ぜられていたのだった。本来、外部の人間とは謝絶の身なのだが、勝は承知で会いに来たのだ。しかし、客間で面会するわけにもいかず、庭先に回って外から声をかけた。

「岩瀬様、ご無沙汰しております。勝です。お声だけ拝借できますでしょうか」

すると、障子がわずかに開き中から少しかすれた声がした。

「おお、勝殿か、久しぶりに勝殿の声が聞けた。元気でおられるか」

嬉しそうな返事が返ってきた。

「岩瀬様のご尽力で、この度やっとアメリカに行くことが出来そうです。私は遣米使節団の随行船で木村さんといっしょに咸臨丸で渡米する事となりました。必ずやお役目を果たして帰国したいと思います。今日は、一言ご挨拶に参りました。どうか岩瀬様もお元気で」

「わざわざ、お越し頂いたが、こんな状態で話もままならぬ。面目ない。ただ無事を願っています」

「はい、有難うございます」

とだけ言って早々に勝はまた駕籠で自宅に帰って行った。

 

 一月十一日、風邪の熱はいまだに残っているが、床に臥せっている程ではなかった。医者嫌いな勝も今回は珍しく医者の言付けを守り薬も決まった時刻にきちんと飲んでいた。お民に子供たちを部屋に来るようにと言いつけた。お民と四人の子供たちは勝の前に行儀よく座り、父が何を言うのか顔を見ている。勝も四人のそれぞれの顔を順番にじっくりと見たが、何も言わず、

「お民、ちょっと品川に行って船をみてくる。昼には帰る」

と言って出かけた。しかし、昼過ぎになっても帰って来なかった。その代わり操練所の小者が来て、

「先生の御行李を取りに伺いました」と勝の荷物を受け取ると何も言わず帰って行った。

お民は何となく察しが付いていた。心の中で「御無事で」と呟(つぶや)いた。

木村忠震